カイト・カフェ

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「若いころの夢をかなえる」~今月定年退職する先生方へ⑤最終

 近所に知己を得て農業を学び、
 片付かない家を必死に片付け、古い作品をネットに上げる
 しかしこの10年、一番やってきたのは文章を書くことだった。
 やがて私は、一瞬にして文筆家となった。
という話。(写真:フォトAC)

【「死ぬまでにやっておきたい10のこと」の経過】

 結局、私は退職してからの12年間、百姓仕事や庭仕事を学び、部屋の片づけをし、家のリフォームをして書類を整理し、毎日のトレーニングに勤しむ生活を送り続けてきました。

 畑仕事・庭仕事についてはEテレの「趣味の園芸」を見たりネット記事を読んだり、そういうことも多かったのですが、種まきや収穫の時期は地方によってバラバラなので地域の人を頼るしかありません。近所には私のような暇人のために貸し出されている休耕地があって、5m×5mほどの畑を借りて耕作している元勤め人が何人もいます。もちろん冬場は動きませんが啓蟄のころから虫と一緒にモソモソと起き出し、日なが一日、畑で過ごしていたりします。その人たちの輪に入って、あれこれ聞くのが一番の勉強になります。
 百姓仕事は自然相手なのでプロでも失敗することがあり、それを一緒に嘆いたり笑いあったりできるようになれば、仲間も仕事も本物です。

 部屋の片づけの方は、私ががんばってようやく生み出した空間を、妻がこれ幸いに潰していくという「ゴンベが種蒔きゃカラスがほじくる」状態で、傍目には進んでいるようには見えませんが、私個人の物品は場所も整理もしっかりし、量もかなり減りました。
 家のリフォームは台所とトイレを中心に行いました。妻の友人は家をもう一軒持てるほどの費用をかけて大々的に改修したと言いますが、私の家は意気込みが尻すぼみで、縁側や台所、トイレの床の張替えは私自身のDIYという体たらく。見積もりを出してもらうたびに金額を見ては気絶しかかる夫婦では大したことはできません。

 体力トレーニングはジョギングに近いウォーキングを5年ほど続けましたが足首のケガをしたのを機にやめてしまい、そのあとはリモート・ジムで週4回、筋トレに励んでいます。1年間で腹囲が6cm減りました。トレーニングの成果には違いありませんが、努力の結果というよりは削減できる脂肪が多すぎたというのが実態です。目標はさらに6cmですから、いかに多くの無駄を抱えているか、自ずと分かろうというものです。

【書類や作品、これまで書いた文章を整理する】

 退職をしてすぐに1年がかりで小説を1本書きました。教員になる以前、同人誌に書いて以来40数年ぶりで、原稿用紙で340枚分ほどですからなかなかの大作です。そのことを娘に話すと読んでみたいとも言わず、
「おやおや、それじゃあ立派な小説家ね」
と言うので、
「小説を書けば小説家ってものじゃないだろう」
と返すと、
「小説を書けば小説家ってもんでしょ」
と戻ってきます。その言い方は気に入りました。職業を問われて「売れない小説家です」と答えるひとはいくらでもいます。売れるか売れないか、はたまた売る気があるかどうかも、小説家であるかないかの基準にはならないのです。

 書いた小説およびかつて同人誌に載せたもの、さらにはこの40年あまりの間にあちこちに書き溜めた短い作品も整理して、「わずか7冊分の本のための図書館」という体裁でネットに上げました。最終的な形になってからは2年ですが、中途半端な時代から数えると約10年。膨大なネット宇宙に一滴ポツンと置いた小さな塊、そんなつもりでしたが私以外の閲覧者がひとり、しかも足跡をつけて行って下さったのにはびっくりしました。どんな訪問の仕方で来られたのでしょう?

 さらにもうひとつサイトをつくり、教員時代に書いた文章やつくった作品――講話や掲示物、写真などをひとまとめにして、「とある学校のホームページ」といった体裁にまとめました。児童生徒のプライバシーや私自身の身元隠しのために、すべての作品を見直し、書き換えるべき部分は書き換えましたからけっこうな手間でした。

【若いころの夢をかなえる】

 あとは――、
 そうです。このブログです。気がついたら現職で書いていた時よりも長い期間が過ぎていました。現職の時は9年間で1953日分ですが退職後は12年間で2769日、書きました。しかも1日分は文字数で2倍以上になって、書くための時間もたっぷり必要になっています。収入を生み出さないだけでこれはもう立派な「お仕事」です。
 で、ここで娘の言葉を思い出すのですが、「小説を書けば小説家ってもんでしょ」を援用すれば、毎日きちんと文章を書いている以上、収入を生み出さないだけで、これはもう立派な文筆家ってものですよね。そう言えば私の若いころの夢は「文筆家になること」でした。

 同じように退職後の日々を、写真撮影で楽しんでいる人を写真家、絵を描いて過ごしている人を画家、地域の合唱団に加わって歌っている人を音楽家と呼ぶのに、何の問題があるのでしょう。毎日数十枚の用紙を費やして毛筆の練習をしている人はやはり書道家でいいでしょう。
 さらに進んで、生まれて初めてやる気になった調理で悪戦苦闘、あれこれ工夫をしている人を料理研究家、長年先送りにして来た家の小修理に励む人を家庭生活研究家、ベランダで植物を育てるようになった人を園芸家と呼ぶのも問題なさそうです。
 さすがに毎晩飲み歩いている人を風俗研究家、若い女性に声をかけるのを趣味とする男性を女性問題研究家と呼ぶことには抵抗がありますが、◯◯研究家という言葉はいろいろに使えて便利そうです。

 私もさしずめ文筆家であると同時に介護問題研究家であり、家庭生活研究家であり、畑仕事・庭仕事をしていますから園芸家であります――待てよ、もっと言い方がある。
 そして私は「家庭菜園ティスト」を名乗ることにしたのです。
(この稿、終了)