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「人権は矛盾する」〜ブラック校則をなくせ 3

 2017.12.17付け毎日新聞『茶色の髪問題契機「ブラック校則なくそう」運動スタート』)で記事になった「キッズドア」総務省のサイトでも紹介されているかなりまじめなNPO法人です。

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 サイトによると、
 生まれてきた環境や、災害によって子どもたちの将来の夢や希望に不平等が生じる社会はおかしいと私たちは考えます。
 貧困などの困難な環境にある子どもたちにも、公平なチャンスを与えるために、私たちは活動しています。
と、「子どもの貧困」で話題になった児童生徒や、被災地の子どもたちの学習支援を主として行っているようです。10年の実績もあります。

 そんな「キッズドア」がなぜ校則問題なんかに首を突っ込んだかというと(失礼)、これもサイトでは、
 髪の毛が生まれつき茶色いにも関わらず、教員から黒染めをするよう強要され、精神的苦痛を受けて不登校になった女子高校生が裁判を起こしました。この報道をきっかけに、この問題を放置できないと感じた有志が発足したプロジェクトです。
と説明されています。
 10月末から11月にかけてマスコミやネットでたいへんに話題となった事件です。

【大阪羽曳野、茶髪地毛、黒染め強要事件】

 大阪羽曳野市の“茶髪地毛、黒染強要事件”(私が勝手に名付けた仮称)は、まだ裁判中で様子を見るしかありません。

 しかしこうした裁判は、マスコミ上、提訴された時点では大きく取り上げられるのに、裁判の経過や結果についてはほとんど伝えられませんから、すでに終了、軍配は上がっているという面もあります。
 当該校の悪名と悪行、大阪府教委の厚顔と無恥は、私たちの記憶とネットに長く残ることになります。多くの支持を取り付けたという意味で、すでに原告は勝ったようなものです 。

 ただし私としては、事実はもっと複雑ではないかと疑っています。
 訴えに対して府があまりにも平然と「『学校の指導は適切』と請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を見せている」からです。よほどの信念か自信があってのことなのでしょう。

 実際、今月17日の会見でも向井正博教育長は「3人の教諭が根元を見て地毛は黒だと確認した」とか「中学校時代はどうだったかという聞き合わせもした」とかおっしゃっています。
 どちらの言い分が正しいのか、裁判の行方に注目しましょう。

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 ただしひとつ言っておきたいのは、こうした事件に対するマスメディアの対応があまりにも不公平だということです。

 上記17日の記者会見についても、私はあるサイトの読者コメントで知り、「ENDIA」という“ニュースまとめ”サイトで確認しましたが、新聞やテレビで見ることはありません。ENDIAの引用元となったMBSの動画も現在は削除されてしまっています。

 生徒が被害を訴える事件では被害者側の言い分はそれこそ洪水のように流されるのに、受け手である学校や教育庁の主張は(「被害者弁護士によると」というかたちを別とすれば)ほとんど伝わってこない、公正な判断をする上でとても困ったことだと思っています。

【地毛証明】

 この裁判報道でもうひとつ困惑しているのは、「地毛証明」が問題化していることです。

 「地毛証明」は、生まれつき髪の赤い子や縮れ毛の子に、黒染めやストレートパーマを強制しなくて済むようつくられた学校の知恵です。まじめに学校生活を送ろうとしている普通の子に、髪を「黒くしろ」とか「伸ばしてこい」というのは明らかに人権侵害で、それを避けるために取り入れられた“生徒のための仕組み”だとも言えます。

 ところがそうした仕組みが、中国の諺に「上に政策あれば、下に対策あり」というように、悪用されることがあります。
 先輩から指導を受けて入学前に茶髪に染め、親を脅迫して証明書を書かせる輩、「地毛証明」をカサに入学時よりさらに赤く染めてくる輩。
 「昔はそんなに赤くなかったはずだ」と問い詰めると、今度は子どもに脅された親が「小さなころからそうでした」と必死に訴えてくる、そうこうしているうちに普通の黒髪の子たちが「なぜアイツだけは許されるんだ」と突きあげてくる――。

 「裏付けのために幼少期の写真を求める」ことの愚かしさなんて、学校だってわかっていますが、そうせざるを得ない事情があるのです。
 そこまでしてまじめな生徒の人権を守る――。

 しかし朝日新聞などは5月ごろから問題としていて、尾木直樹先生や脳科学者の茂木健一郎さんの口を借りて、「身体について証明書を出させるなんて明らかな人権侵害だ」(尾木)「生徒の人権を守るためと言うが、出自やアイデンティティーの証明を求めることが人権侵害だとなぜわからないのか。まず髪を染めた人が不良、不真面目という認識モデルを疑うべきだ」(茂木)などと批判しています(2017.08.21「地毛証明書」「無言給食」 学校のルールを考える)。

 子どもの人権を守るための仕組みが人権の名のもとに非難される――いったい何が起きているのでしょう?

【人権は矛盾する】

 これは“人権尊重の視点をどこに置くか”ということに関する、学校と世間の違いからきているのです。

 端的に言うと、学校は「将来のその子の人権を十全に守りたいという理由で、目の前のその子の人権を制限することにほとんど抵抗感のないところ」なのです。それに対して一般の人々は目の前の子どもが苦しむのに耐えられない――。

 学校の先生は、算数なんてこれっぽっちも好きでない子に平気で「掛け算九九を覚えましょうね」と言います。走るのなんか大嫌いな子に「ガンバレ」「ガンバレ」と大声をかけながらあとから追い立てたりもします。
 音痴だから歌なんて死ぬほど嫌だという子に対しても、「ああしましょう」「こうしてみたら」とあれこれ言って、励まし、叱り、応援し、何とか歌える子にしようとするのも先生です。本人は歌えなくていいのに。

「そんなに辛いなら、もうやめましょう」 と優しい言葉をかけてくれる人はひとりもいません。

 なぜそんなそんなことができるのか――。

 それは小学校で学ぶことぐらいできないと、とてもではないが大人になって「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)なんかを営めないと思い込んでいるからです(特殊な例で反論していけませんよ)。

 あるいは中学校では、その子の「数学や英語を学ばない自由」を認めてしまうと、将来「思い通りの高校を選ぶ自由」を失ってしまう(あるいは極端に狭めてしまう)かもしれない、実質的な意味での「職業選択の自由」を失ってしまうかもしれない、もしかしたら好きな人と結婚する自由さえ失ってしまうかもしれない――そう怖れているからなのです。

 元の話に戻れば、子どものころから髪の毛が赤いとか縮れ毛だといった個人情報の保護など、その子の現在や将来を考えたら取るに足らないことだと、かれらは大真面目で思っています。
 その点で、尾木・茂木先生とはどうしても一緒になれない。

【髪型や服装にこだわる教師側の情熱】

 ほとんどの教師は凡人ですから「勉強は苦しいもの」だと思い込んでいます、自分自身が苦しんで学んできましたから。
 稀に楽しくできた教科もあれば好きな分野もあったかもしれませんが、大部分は楽しくなかった。片手間に勉強しながら教員になったという人も、まずいません。

 ですから彼らは、髪の毛を赤くしたり化粧したり、流行りの服装を楽しんだりしながら苦しい勉強を続けることなどできないと思い込んでいます。
 だってそんなかっこうをすれば街にも行きたくなるしお店にも入りたくなります。同じような友だちと長時間ファッションやスマホの話もしたくなります。それでどうやって勉強をする時間を生み出すのか、どのようにして怠けたい誘惑に打ち勝てるのか、どんなふうに苦しい勉強に耐えていくのか(特殊な例で反論していけませんよ)。

それが、
「パーマ禁止、「くせ毛届」の提出」
「眉毛と髪の毛をいじってはいけない」
といったくだらない校則を生み出す基本的な認識となっています。  勉強が生み出す将来の大きな自由(高校選択の自由、大学選択の自由、職業選択の自由、自己表現の自由)、健康で文化的な(最低限度を大きく越える)豊かな未来生活のために、現在のちっぽけな表現の自由なんて我慢しなさい、そのために学校に来てるんでしょ?

 それが教師のホンネです。

(この稿、続く)

*私はこれについて昔、短い物語を書いたことがあります。時間があれば読んでみてください。

一枚の絵

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