カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「eメールというやっかいな道具の話」②

 メールが厄介だという話をしています。

【メールが政治問題になる】

 考えてみれば今評判の(と言うか、いつまでもだらだら続いている)籠池問題で、安倍総理夫人と籠池夫人が直接口で話していたらあんな面倒なことにはならなかったのかもしれません(おまけに証拠も残らない)。メールのやり取りだからあんなややこしい人といつまでも会話ができた。これが口頭だったら(ましてや面と向かっての話だったら)すぐにも嫌気がさして(あるいは恐怖に駆られて)早い段階で遠ざかることができたはずです。
 ドナルド・トランプ氏だってあれがツイッターではなく、直接言葉で話し続けるとなるとあそこまで過激な話にはなりません。面と向かっての会話ならいちいち反論されますから、攻撃も長続きしないはずです。

【メールが家族を引き裂く】

 孫のハーヴが生まれて以来シーナの影響もあって若い母親たちの「子育てブログ」に目を通すことが多くなっています。子どもの成長ということに興味があるのです。
 離乳食の話や運動発達の話、言葉の進捗や認知力の変化、小物づくりや保活(保育園入園活動)、子どもを取り巻く話題にはいくつかのバリエーションがあります。そのひとつが義理の親に関する愚痴、そして驚くほど多いのが実父・実母に対する嘆きです。特に実父・実母の方は義理の関係よりはるかに難しくなる傾向があります。
 ところがその中でやたら出て来る不和の原因がメール(またはLINE等のSNS)を通しての行き違い――言葉足らずや余計なひとこと、そして読み違い・深読み、どう考えたってこれが口を通しての言葉のやり取りだったら(特に面と向かっての会話だったら)絶対に起きないような感情のすれ違いです。
 そこには電子メールならでは理由があります。

 いかに優秀なスマホ使いであっても長いメールを打ち込むにはそれなりの時間がかかります。勢い説明不足になる。できるだけ短い文で話そうとすれば時にはぶっきらぼうにもなる。
 おまけに長い文章を打つのはたいていが子どもも寝つき家事もひと段落した夜中のことですから、夜の魔力に犯されて文章が狂乱し始める。
 なんでメールなどという妙なものを使いたがるのか。

【保護者からメールが来る】

「保護者とメールのやり取りはしないように」という指導はどこの学校でも行っていると思いますが、部活の連絡等でLINEグループを作らならなかったり、携帯番号を渡したらショートメールで返されたりと、教員であっても保護者のメッセージを受け取らざるを得ない場合もあります。
 しかしくれぐれも守らなくてはならないのは「難しい話は必ず対面で行う」という原則です。話が困難であればあるほど、嫌な相手であればあるほど、こちらから出向いていての顔色を見ながら、生身の言葉で話すことが大切です。
 家庭訪問となれば当然時間に制限があります。夜中という訳にはいかないでしょう。それで夜の魔力から逃れることができます。
 こちらから出向いているのですから、こちらから引き下がれます。話が面倒になったらいったん失礼して改めて出直せばいいのです。呼びつけてしまったらそういう訳にはいかないでしょう。

 まだ若いうちは特に、年上の保護者と対峙するのはシンドイし面倒なことです。しかしメールや手紙でやり過ごそうとするととんでもないしっぺ返しを受けます。
 メールより電話、電話より直接対話、学校へ呼びつけるより家庭訪問、こじれたら人の手を借りる――それが鉄則です。