カイト・カフェ

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「メールやSNSは十分な情報を伝えはしない」~ネット上のやり取りで傷つかないために②

「もういい歳となって、たいていのことでは動揺もしなければ傷つきもしなくなっているのに、なぜネット上ではああも心を動かされるのか」
 それが主題です。

 これについて最初に言えるのは、ネット上のやり取りは基本的にテキスト(文字文書)だけで行われる、その点に注目しなければならないということです。

メラビアンの法則

 メラビアンの法則についてはこのブログでも何回か扱っていますが、ベストセラー「人は見かけが9割」(竹内一郎 2005 新潮新書)などによってそれは、
「話の内容はほとんど伝わらない」
「プレゼンは内容よりも資料の作り方・見せ方」
「話す内容よりも服装や表情、声のトーンなどの方が大事」
 そういった話として誤解されています。しかしそうではありません。

 Wikipediaによるとそれは、
 感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。
 つまり例えば、冷淡な表情のまま「可愛いね」と言われるとか、へらへら笑いながら「ふざけるな!」と怒られるとか、あるいは低く押し殺した声で「仲よくしような」と言われるとか、――そういうき、発せられた情報の中から私たちは何を採用するかということなのです。その場合、言語情報は非常に弱い。見た目や聴覚情報の方が圧倒的に強い力を持っている。

【テキストは伝えるべきことの7%しか伝えない】

 それはそうでしょう。
 例えば「バカ」などという単語は文字としてはほとんど無機質で、小悪魔的な女の子の赤い唇から甘い声で出て来るのと、いかにもやくざ風のおっちゃんのでかい口から怒鳴り声として出て来るのとではまったく意味が異なります。前者の場合はとりあえず立ち止まって考え、よく見極めましょう。後者の場合は土下座か遁走か、迷うのはその程度で瞬時に判断しなくてはいけません。

 言語というのは常に、語り手の表情や仕草、声の調子に支えられてその意味を十全に伝えてきたのです。人間の複雑な思考や感情を表現するには、言葉だけでは圧倒的に足りなかったのです。

 もちろん古くは手紙という文字だけのやり取りもありましたが、普通は2〜3日経たないと相手に届かず、さらに数日を経ないと返事も期待できないものでしたから、それだけに慎重でした。言葉が足りなかったり誤解が生じたりしても、瞬時に訂正できないからです。
 しかしメールやSNSのメッセージは違います。多くの場合、返事はすぐに来ますから言葉が足りなければその場で訂正することができます。そのため熟慮することなく気軽に書いて、そのまま送信します。それでいいと私たちは思っています。

 もちろん言葉の能力を信じ、言語だけですべてを成し遂げようという試みもあります。しかしそれは小説家や詩人、歌人俳人の仕事で、私たちの日常生活には向きません。
 私たちはきちんとものごとを伝えようとしたら、身振り手振り、百面相に百の声色と、それこそありとあらゆる手段を併用して、それでもしばしば誤解を受け、問題を起こすのです。

 言語の情報伝達力はそれほどに脆弱である、それなのに私たちはネット上でテキストだけの会話を行うようになってしまった――。そこに第一の問題があります。自分では十分に伝えているつもりでも、極めて誤解されやすいのです。

【克服の試みと限界】

 生まれながらのネット使いの若者たちも、メールやSNSを始めるとすぐに言語の脆弱性に気づきました。
 短文による文字の会話は無表情で、冷淡に過ぎたり素っ気なかったり、逆に大げさに受け取られる危険があったり深刻すぎる印象だったり――。
 文の後ろに「(笑)、ワラ、w」「泣」「涙」といった記号を加えたり、「顔文字」を使ったり、スタンプを多用したりといった工夫は、言語情報に少しでも視覚情報を加えようとする試みでした。それはそれで一定の効果はあったと思いますが十分ではありません。

 メールやSNSは人間の感情を伝えるにはあまりにも不完全だ。メラビアンの法則を援用すれば(絵文字などを多用しても)言いたいことのほんの十数%を伝えているに過ぎない。

 それは無表情で陰影がなく、書き手の意図しないほどに大げさに受け取られたり、深刻に伝わったり、あるいは思ってもみないほど冷淡ない印象を与えることがある。

――ネットでやり取りをする以上、子どもたちは是非ともその点に留意し続ける必要があります。

(この稿、続く)