「日本語の創造者たち」②〜標準語の制覇

 私は、明治期における日本語の統一ということには無頓着でした。

 もちろん日本語表記の方の問題性については承知していました。
 木版印刷の時代には問題とならなかった異体字(例えばひらがなの「な」も、元となった漢字の「奈」から「な」に至る中間的な文字が山ほどあるとか)を「変体文字」として排除して文字の統一を図らなければならなかったことや、一般に「候(そうろう)文」と呼ばれるような文語表現はあったものの、口語を文字にしたのものは落語の台本くらいしかなく、それを中心に日本語表記の研究がなされた、といった事情についても聞いたことがあります。しかししゃべり言葉については、さほど大きな問題があるとは思っていなかったのです。

 例えば吉原のような世界では「花魁言葉(「わちき」や「ありんす」など)」などによって繰り返し言葉の統一が図られ、また参勤交代によって武士が一年おきに江戸と地元とで暮らしを代えることによって、日本語の統一性は保たれていたの思い込んでいました。もちろん庶民レベルで津軽弁のお爺ちゃんと博多弁のお婆ちゃんでは会話にならんだろうなということは想像に難くありませんが、江戸時代だって多くの出稼ぎや流民がいましたし、明治の世になって人の行き来が自由になってもそう、難渋しなかったのではないかとそんなふうに思っていたのです。
 しかし7日の「歴史ヒストリア」を見て、改めて思ったのは明治初期の日本のダイナミックな動きです。維新になって東京に移ってきたのは武士だとか売られてきた女性とかいった限られた人々ではなく、ありとあらゆる有象無象でした。しかも半端な数ではありませんから、標準語の創生というのはほんとうに必要だったのです。
 北は樺太から南は沖縄与那国島まで、お国言葉や階級言葉、男言葉に女言葉、すべてを無視して、
「もん に いぬ。
 かご に ことり。

 みけ と ざる。
 かに が はさむ。
 みけ が さわぐ」
           (明治34年発行 国語讀本尋常小学校用 巻一)
と大声で読んで覚えなければならなない確かな理由があったのです。

 ちなみに私の育った50数年前でも、標準語と方言との間にはずいぶんな開きがありました。
 例えば子供時代、私の田舎で自分のことを「ぼく」と呼ぶのは特殊な気取った男の子だけでした。、普通は「オレ」としか言わなかったので、教科書の中の「ぼく」にはずいぶんと違和感があったものです。“その言い方は変だ”というのではなく、別世界の物語だったのです。
 また、質問をするのに「〜するの?」と語尾をまとめるのは女言葉でしたら、東京から遊びにきた従兄などはすぐにオカマ扱いでした。

 その従兄は父親の職業の関係で全国を渡り歩いた人ですが、さすがに青森では言葉が通じなかったといいます。気を遣って従兄と話すときはほぼ標準語で話してくれるのですが、地元の仲間同士の会話となるとお構いなしですから全く分からない、呆れるほど理解できなかったといいます。

 標準語が日本全国津々浦々に行き渡り、田舎人が仲間同士でも標準語に近い言葉と発音で話すようになったのは、ここ数十年のこと――テレビが普及し、その中で口にされる言葉が繰り返し真似されて以降のことです。
 私ですら平気で「〜するの?」と言うようになりましたし、さすがに年齢的に「ぼく」は使いませんが、「オレ」は野卑な言葉として普段使用することはありません。

 そんなふうに日本語が統一され、標準語が広がった経緯を知るに及んで、もし100数十年前、森有礼の案が通って英語が日本唯一の公用語になっていたとしたらこの国はどうなっていたのか、それを考えないわけではありません。
 そんなことはありえないとも言えますが、例えばフィリピンの例などを考えると、全くの夢物語とも言えません。

 フィリピンは約7100にも及ぶ島々からなり170にも及ぶ母国語のある国です。そんなところで国家としての統一性を保とうとすれば、意図的に共通語を造らなければならなくなります。その点で維新期の日本とそっくりです。
 違うのはフィリピンの場合、100年近くもアメリカの植民地だった影響で、全国に渡って英語が使える状態になっていたということです。もちろんナショナリズムの関係で英語を単一公用語とするわけにはいかず、フィリピン語を第一の公用語としますが、そのフィリピン語は実質的にタガログ語であって、これもマニラを中心とした地方語のひとつにすぎません。簡単に言ってしまうと日本における江戸弁みたいなものです。

 フィリピンのように、あのときもし日本の公用語が「江戸弁と英語」と決められていたら、日本はどうなっていたのか。
 もちろん今日の私たちのように、日本人が英語で苦労するということはないでしょう。しかし、東京弁も現在の日本語のような発達をしなかったはずです。一方で英語が日常的に使われる状況で、Baseballを「野球」、Loveを「恋愛」と言い換える必要はないからです。
 ここに至って、現在の日本語を考えるうえでの、もうひとつの重要な主題に気づかされます。それが外来語の受容です。

(この稿、続く)