カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なぜ本を読まねばならないのか」〜読書週間の終わりに

 そろそろ読書週間も終わりです。
 私は以前、中学校の担任だったころ、本を紹介しがてら読書についてこんな話をしたことがあります。
 主題は「なぜ本を読まなければならないか」ということです。まだ乙武さんが不祥事を起こす前のことです(←後で意味が分かります)。

 お聞きください。 

  ―――――――――――――――――――――――――――――

  本を読まなくてはならない理由はさまざまにあります。読んでいなければ世の中が分からないとか、ものを知らないとバカにされるとか、人の話についていけなくなるとか、あるいは心が貧しくなるとか・・・、また、言葉を覚えられないとか、漢字を忘れてしまうとか、いろいろなことが言われますが、ここでは中学生が本を読まなければならに理由、ということで、三つに分けてお話します。

【言葉は思考そのもの】

 まず一つ目は、「言葉は思考そのもの」だということです。
 私たちは普通、日本語でものを考えています。それは普段意識されませんが、日本語と外国語を同じように話す人たちは、しばしば自分が「日本語で考えている」「外国語で考えている」ということを意識するようなのです。
 本校のALTのJさんの頭の中は基本的に英語が駆け巡っていて、英語でものを考えています。日本語が良くできる人ですからときどき日本語が混ざったりするかも知れません。英語の西田先生は日本人ですから日本語でものを考えているはずですが、時々、相当に英語で考えている部分があるようです(たぶんそうです)。
 つまり人は母国語を基本にしてものごとを考えているわけです。ということは日本語しかできない人で、つまり私たちですね、日本語の言葉を十分に知っていない人は、考え自体が貧しくなってしまう、ということです。

 たとえば次の三つの言葉をあなたたちは知っていますか?
「バルビゾン」「キュービズム」「フォービズム」
 たぶん分かりませんよね。
 これは美術の用語で、絵に対する似通った考え方、あるいはそうした考え方に従って絵を描く画家たちのことを言います。
 ミレーはバルビゾングループ、ピカソの絵はキュービズムだ、といったふうに使うのです。これらの言葉を知らない人たちは、西洋の絵に対する深い考えを持ったり話したりすることができません。言葉を知っていればそれで十分というわけではありませんが、知らないと考えること自体が始まらないのです。

 では次の三つはどうでしょう。
あひるの空」「ドーパント」「エリンとリラン」
 ちょっと中学生だと無理かな? 小学生の方が詳しいかもしれませんね。
 これらは知らなくても生きていけますが、知っていれば、そしてもっと詳しくなればさらに面白い話ができるような事柄です。
 繰り返しますが「言葉は、思考そのもの」なのです。だから言葉を増やさないと考えも深まらなければ広がりもしないのです。
 言葉をたくさん知っていてそれを自由に使いこなせることは、それ自体が「頭が良い」ということなのです。

【代理体験】

 第2は、代理体験ということです。
 人は、本当のことは体験からしか学べません。しかし人間ひとりが生涯に体験できることなどかなり限界があります。またいくら体験が大切だからといっても、体験できないことや体験してはいけないこともたくさんあります。
 たとえば宇宙旅行は今のところ誰にでも体験できるというものではありません。薬物やタバコの体験はすべきではありませんし、交通事故体験などは試してみる気にもならないでしょ? 
 したがってどうしても代わりの体験が必要になります。

 たとえば毛利衛さんの「毛利衛、ふわっと宇宙へ」を読めば、宇宙へ出るということがどういうことなのか、宇宙ではどういうことが起こるのか、自分が体験しなくてもすうっと分かってきます。
 「植村直己・地球冒険62万キロ」という本を読めば、エベレストなど8000mを越える山を登るということが、どういうことなのか自然に分かります。
 「五体不満足」。乙武洋匡ひろただ)さんの本ですが、手足が不自由だということがそういうことなのか、障害を持った人たちはどう生きていくのか、何が困るのか、そうしたことを経験しなくても私たちに理解させてくれるのです。
 本を読むということは、読んだ本の数だけ、さまざまな体験をするのと同じなのです。

【読書には読むべき時期がある】

 第3に、読書には読むべき時期があるということです。今読むべき本は、後回しにできないということです。
 私は読み聞かせをするのが大好きで、自分の子どもにもかなり長い期間、小学校5年生になるくらいまでは読み聞かせをしてきました。ところが、子どもにせがまれて読みはするものの、まったく面白くないという本がいくつかあったのです。
 ピーター・ラビット・シリーズはその代表です。子どもは喜ぶのに私はさっぱり面白くない・・・どうやら子どもでないとピーターラビットは分からないらしいのです。

 同じようなことを数学者の藤原正彦さんという人が言っていました。
 子どものころ読んだ「クオレ」という本、これは子どものころ夢中になって読んだはずなのに、大人になって読み直したらまったく面白くない。

 そうです。子どもでないと楽しめない本、というのが世の中にはいくらでもあるのです。
 私にとっては「十五少年漂流記」や「三銃士」がそうです。昔は、もっとうきうきして読めたはずなのに、いま読んでもさっぱり面白くない。
 中学生の君たちもそろそろ限界です。少年少女文学全集といったものは、いま読んでおかないと二度とそのすばらしさ味わえないかもしれないのです。

 さきほど話した数学者の藤原正彦さんは、ある日、町で少年少女文学全集の大きなポスターを見て、それに感動して何回も紹介しています。そこには、こんなふうに書いてあったのです。

「早く読まないと、大人になっちゃう」
 この感じ、分かりますよね。勉強・部活・生徒会。中学生は本当に忙しくてたいへんなのですが、何とか時間を生み出して、ひとつでも多くの本を読んでもらいたいものですね。