「71年目の夏に戦争について考える」②

 いったん国家という列車を「戦争行」のレールに乗せてしまったら、それを降ろすのは非常に困難です。元は政府が火をつけマスコミが煽ったものだとしても、世論が燃え上がってしまうともう政府やマスコミですら抑えが効きません。
 実際、昭和16年12月8日の開戦の日、普通の日本人は真珠湾攻撃の報に気分を高揚させ気持ちを引き締め、知識人の多くが暗雲が晴れたような清々しい気持ちになった(例えば桑原武雄)と書き残しています。

 さらに戦況が進み、自分の近辺で若者が次々と出征し一部は英霊となって帰ってくるとなると、私たちは否が応にも戦争に巻き込まれていきます。そんな状態で戦争は嫌だ行きたくないとは絶対に言えません。むしろ率先して軍隊に入ろうとするでしょう――それについては「キミは必ず戦争に行く」a(2016.05.24)、「キミは必ず戦争に行く」b(2016.05.25)で書きました。

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 太平洋戦争に反対を唱えず唯々諾々と政府に従った私の両親は愚かだったのではなく、彼らが大人になった時点ですでに手遅れだったのです。もし本気で戦争を止めようとしたら、遅くとも昭和2年〜3年あたりまでさかのぼって強力な手を打ち続ける必要があります。太平洋戦争を含む15年戦争(1931〜1945)は自由と民主主義の「大正デモクラシー」が終わり、金融恐慌の起った昭和2年(1927)あたりから用意されるのですから。

 私はかつてこのブログに「年号や世紀が変わることへの思い」(2013.09.11)という文を書いて、年号や世紀が変わって雰囲気がガラッと変わってしまったといったお話をしました。

kite-cafe.hatenablog.com 昭和が終わり平成になると、平成2年を頂点としてバブルが崩壊し、「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれるような経済の長期低迷期が続き、ついにGDPも3位に転落します。それとともに人々の気分にも変化が見られました。  少なくとも“昭和”のうちは誰も憲法改正など考えませんでしたし、自衛隊の海外派遣など思いつきもしませんでした。中韓との関係も良好で日本はアジアの手本として高い地位を保っていました。それが「平成」に変わったとたん、一切が変化してしまいました。

 そう書いた2013年からわずか3年後の2016年の世界は、また大きく様変わりしています。

 日本が尖閣諸島を国有化して中国との関係が冷え込んだのは上の記事のちょうど1年前の2012年9月11日のことです。しかし尖閣を巡る日中のツバぜり合いはその日始まったものでなく、長く続いてきたいわば常態です。日本側から見る限り何か決定的な変化というわけではありません。問題は熱くなり、また冷めて、その繰り返しの中で辛抱強く取り組めば良いことだ、そんなふうに考えてきたのです。しかし同時期に着々と行われていた南シナ海の問題は違った経緯をたどりました。ベトナムやフィリピンに力がないのをいいことに、中国は実力をもって領土拡張を始めたのです。

 それを2014年のロシアによるクリミア編入と合わせて考えると、ひとつの認識が与えられます。それは「21世紀になっても(あるいは21世紀になったのでもう一度)直接的武力で外国の領土を奪う戦争が起こせる」ということです。第二次世界大戦以後つくられた、少なくとも先進国と呼ばれる国々は領土争いはしないというルールが、簡単に破られてしまったのです。それは翻って、機会さえあれば中国は実力で尖閣を奪うということです。

 この3年間に様変わりしたことはほかにもあります。北朝鮮が思いのほか軍事大国化しつつあるということです。
北朝鮮はすでに数百機のステルス戦闘機を保有している。紙と木でつくられた飛行機はレーダーに映らない」
と揶揄された北朝鮮軍は、通常兵器はそのままに、軍備拡張を核とミサイルに特化してのし上がろうとし始めました。
 特に今年になって繰り返しミサイルを発射しながら、急速にその技術を高めようとしています。かつては失敗自体が許されなかった国で、失敗も厭わないから技術を高めよとの強い支持が出ているのです。遠からず、東京やグアムに核爆弾を運ぶ程度のミサイルは完成してしまうでしょう。

 それらは昭和の時代には全く想像できないことでした。      
                                          (この稿、続く)