カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「今年の振り返り、来年への怖れ」~二学期ご苦労様でした。

 今年も心配な出来事が多かった。
 しかし今年起こっているその不安な出来事は、
 もしかしたら来年から始まる新時代を予告するものなのかもしれない

というお話f:id:kite-cafe:20181226063822j:plain

【私の2018年】

 多くの学校で二学期終業式が行われ、あと一週間も経たずして2018年が終わります。
 私にとっての2018年は、非常に当てが外れるとともに、混とんとして落ち着かない年でした。

 つい数年前まで、世界は緩やかな安定に向かい、私の子や孫や教え子たちの生きる21世紀中後半は、派手さも華やかさもないものの、落ち着いた静かな、平和に満ちた時代になるだろうと安心しきっていたのです。

 それがロシアのクリミア侵攻や中国の南シナ海進出によって、まるで19世紀のような領土・領海獲得競争が始まり、トランプ大統領の出現によってアメリカまでもが野心満々の独裁国家の様相を呈してきたのです。
 中東情勢は泥沼で、EUは崩壊に向かい始めます。

 ただしアジアに限って言えば悪くない話もあって、東アジアの喉にひかかったトゲである北朝鮮はそろそろじり貧で、2018年度中には金王朝も滅び、多少の混乱はあるものの全体としては、世界がアジア中心の時代に入ると思われたのです。

 まさかドナルド・トランプが中途半端に金正恩と手を結び、王朝の延命に手を貸すとは思いもよりませんでした。

 韓国に文在寅政権が生まれてそうとう北寄りになるだろうとは思ったもののここまですり寄ることは考えもせず、今や私は韓国が本気で「中ロを後ろ盾とした、金正恩の統べる統一核保有国」を目指しているのではないかと疑い始めています。
 米韓関係、日韓関係がここまで悪くなるとは全く想像していなかったのです。

 ヨーロッパではメルケルマクロンもメイも、自国に山積する問題で手いっぱいで、世界に関与する余裕など微塵もありません。

 米中貿易戦争は地球全体に重苦しい網をかけています。

 

【2018年の日本】

 目を日本国内に転じると、クソ暑い夏と度重なる災害(西日本豪雨・大阪地震・北海道地震・台風21号等)がまず頭に浮かび、日本中の学校にエアコンが入りそうなのはいいことですが、今後猛暑を考慮したカリキュラム編成や防災教育、あるいは避難所運営といったことにも心砕いていかねばなりません。
 教師の働き方改革が叫ばれる中で、仕事は増える一方です。

 今年は特にスポーツ界に喜ばしいことと問題が多く、喜ばしいことから言えば平昌オリンピックでの13個のメダル・羽生結弦くんの連覇、野球の大谷翔平くん・テニスの大坂なおみさんの活躍、絶対だめだと思ったのに16強入りしたサッカーワールドカップ等々、浮足立つような話も数多くありました。

 他方、日大アメフト部や日本レスリング協会日本体操協会などで相次ぐパワハラ事件は、中学・高校の部活動にも重大な問題提起を行ったと言えます。

 私にとって日本人を考えるうえで、元貴乃花親方の周辺で起こった一連の出来事がもっとも印象に残るものでした。伝統と格式、プロスポーツの在り方、選手育成、人間形成、暴力と指導――と様々に考えさせられる問題のてんこ盛りだったように思うのです。

 スポーツ以外では、本庶先生がノーベル生理・医学賞を獲ったことや藤井聡太7段の活躍、将棋の羽生善治さんと囲碁井山裕太さんが国民栄誉賞を授与されたことなどは、子どもに勇気と希望を与えるできごとでした。2025年の万国博覧会が大阪に決まったことも、今後児童生徒と一緒に注目していきたい事柄です。

 さまざまなものが終わりを告げました。
 豊洲市場開場は私にとってはむしろ築地閉場問題です。
 日産からゴーン会長が去り、さくらももこさんや桂歌丸師匠が亡くなりましたが、影響力の大きさから言えば、オウムの松本死刑囚ら元幹部の死刑が執行されたことや歌手の安室奈美恵さんが引退したことの方が大きかったかもしれません。

 来年、平成が終わることは既に予告されていますが、平成を平成たらしめた事象のひとつひとつが、一足先に終わっていく感じです。

 

【来年、まったく新しい時代が始まる】

 江戸時代以前は吉事凶事のたびに年号を変えていったそうですが、明治以降は逆に年号が変わるたびに時代が変わっていった――私はそんなふうに思っています。

 この件についてはこれまでも何度か書いてきましたが、ふとそう思って調べたら、1年前の2学期終業式の日に、今日とそっくりな構成で、同じようなことを書いていました。kite-cafe.hatenablog.comkite-cafe.hatenablog.com 年号が変わると人々の気持ちが根底から変わってしまい、違う時代になってしまう。
 例えば明治は「欧米に追い付け追い越せ」の時代で、条約改正が成って欧米と肩を並べたことが確認されると(明治44年)、明治は終わってしまう。
 大正は「自由とデモクラシー」の浮かれた時代で、第一次護憲運動(大正2)に始まり普通選挙法(大正14)で終わります。
 昭和になるといきなりの金融恐慌(昭和2年)で、大正の浮かれた気分は一気に吹き飛ばされてしまいます。昭和元年は一週間しかありませんでしたので、実質的な元年である昭和2年は、ほんとうに一瞬にして時代が変わったみたいだったに違いありません。
 その昭和もバブルの中で終わり、平成は不況とともに始まります(平成3年バブル崩壊)。

 もちろん年号が変わると同時に一気に何もかも変わるというのではなく、その2~3年前から予兆があり、新時代になっても2~3年の間は旧時代を引きずる面があります。昭和の匂いのする治安維持法が大正時代につくられ、バブル経済が昭和と平成をまたいだように、新時代の訪れる前にその香りは漂ってくるのです。

 つまり、今起こっていること――大国が領土的野心をむき出しにしてお互いに争い、EUやTPPのように統合を目指したものが音を立てて崩れ、逆に一緒になってはならない者たちが集まり始める、それが来年から始まる“新時代”の基本的潮流なのかもしれないのです。

 皆様、心して子を育てましょう。

*「アフター・フェア」も明日から年末年始休業に入ります。1月9日の水曜日を再開の予定としていますが、それ以前に書き込むこともあるかと思います。よろしくお願いします。
 それでは皆様、良いお年を。