「キミは必ず戦争に行く」①

 三十数年前、まだ教員になりたてのころ、授業で太平洋戦争を扱って「キミたちならどうする?」と訊ねたとき、生徒の一部から、
「山の中に逃げる。戦争が終わるまでじっと我慢して頑張る」
 そんな発言がありました。それはさらに遡って数十年前、中学生か高校生だったころの私あるいは周辺の男の子の発言とまったく同じです。何もわかっていない。

 先週土曜日、夜9時から放送された「そしてテレビは“戦争”を煽った〜ロシア・ウクライナ2年の記録」は2014年に始まったウクライナ東部の紛争を、ロシア・ウクライナ両国のテレビがどう扱ったかを検証しようというものでした。なかでも2014年5月2日に港湾都市オデッサで起こったウクライナ民族主義者・親ロシア派の対立事件は、その後の政局・戦局を一気に変えたものとして番組の中で重層的な調査が行われています。

 事件はその日オデッサ労働組合会館を占拠していた親ロシア派に対してウクライナ民族主義者たちが抗議のデモを仕掛け、やがて双方エスカレートして火炎瓶の投げ合いとなり、ついには会館が炎上して中にいた40数人が亡くなった事件です。全員が焼死というのではなく、銃で殺された者、絞殺された者と様々な遺体があったようです(そのあたりはよくわからない)。

 この事件をウクライナのテレビ局は犠牲者の詳細には触れず、事件全体をロシア側の陰謀だと匂わせて報道します。それに対してロシアの放送局は遺体写真をふんだんに使い、情感に訴えた番組作りをして提示したのです。
 その際に使われた画像・動画はロシアの放送記者が実際に撮影したものではなく、インターネットから拾い上げたものでした。番組の制作者はこんなふうに言います。
「技術の発展によって、記者は必ずしも現場に行く必要がなくなりました。今やどんな事件の現場でも目撃者がいるし映像があります。映像に写っていることが『事実』です。『事実』に反論はできません」
 しかし映像が事実だったとしても放送が事実とは限りません。例えばこのときロシア人の怒りに火をつけた「オデッサ労働会館内部の映像」にはこんなナレーションが付けられていました。
ウクライナ民族主義者が死者を侮辱しながら撮影しています。最初に建物に入ったのは虐殺者たちでした。彼らはロシア系住民を迫害するための名簿を探していました。笑いながら金目のものを物色しています」
 しかしは間違いでした。映像はロシア人のフリージャーナリストによって撮影されたもので、ナレーションも本来は淡々と事実を(例えば「この部屋には9人の遺体があります」)伝えていただけです。
 映像に写っていることが『事実』であっても伝えられたことは事実ではなかったのです。

 さらに一般のロシア人を激怒させ戦地へ向かわせた画像として「殺されて机に上半身を乗せ、仰向けに横たわる妊婦」の写真があります。偶然にも机の縁が大きな腹部(妊娠9か月ほどだろうという見立てもありました)を高くつきだす感じになっていて、悲劇性がことさら強調されます。しかしその女性は54歳で、妊娠の事実もなかったことがのちに確認されます。
 撮影者も撮影の意図もはっきりしていて、それは歴史の記録であってロシアを煽るものでは全くなかったのです。
 もちろん妊娠していようがいまいが殺されたことには変わりありませんが、生まれる前の子どもまで殺されたというのとでは、残虐性の度合いが違います。 
 ただしロシアの放送局にしても「事実」を歪曲する気持ちがあったわけではありません。ネットを通じて彼らの手元に届いたとき、すでに「死体をあさるウクライナ民族主義者」だの「殺された妊婦」だのといったコメントがついていたのです。
 彼らは当然すべき検証をしないままそれを使いました。戦争はそうした当たり前の手続きさえも忘れさせてしまったのです。
 一方で、ウクライナの市民が親ロシア派の人々を労働会館から助けようとして、鉄パイプの役らを組む場面も撮影されていましたが、そうした協調の姿は無視されています。

 放送の中でウクライナ・ロシア双方の記者・キャスターが共通していう言葉があります。
「自分の国が戦争の当事者であるとき、客観的であることはとても難しい」
 まったくその通りです。

(この稿、続く)