カイト・カフェ

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「糖質ダイエットと1石・1反・1両」~米の話②

 政治家の鳩山邦夫さんが亡くなりました。
 夫人は結婚前の名前を高見エミリーという、当時はまだ珍しいハーフ・タレントで、彗星のごとく現れたかと思ったらそのままお嫁に行ってしまい、そのお相手が鳩山一族の息子というのでずいぶん驚きました。写真を見たら大した外見ではなく、「結局、金目当てかよ」と、ファンでもないのに舌打ちしたことを覚えています。ただし外見は大したことなくても中身はたいへんな人で、実母の安子さんの話だと「由紀夫は秀才、邦夫は天才」。ほんとうに頭がよくて高校時代は全国模試で1位、東大法学部を首席で卒業しています。
 そのころの東大法学部にはもう一人の天才がいて、常にトップを争っていたそうです。それが舛添要一。幸い(?)学科が違っていたので二人とも主席卒業となりました。

 ところで「米の話」の最中に鳩山氏の訃報を差し挟んだのは、今月16日発売の雑誌「フライデー」に『どうしたの? 鳩山邦夫代議士「激ヤセの真相」』というのがあって、事務所によるとその「激ヤセの真相」は今年2月ごろから「炭水化物抜きダイエット」にハマり、意図的に体重を落としたものだとされているからです。私が気にしている低糖質ダイエットと同じものです。

 公式の死亡原因は十二指腸潰瘍。一般には死に至らない病気で、2週間ほど前には兄の由紀夫さんが都知事選への立候補を打診したと言ってますから、やはり突発的に何かがあったのでしょう(ただし深刻な病気だったとしても「アニキだけには絶対言うな」と口止めしていた可能性は大いにあります)。もしかしたら今後死因が変更されるかも知れませんが、「炭水化物抜きダイエット」をほんとうにやっていたのか、やっていたとしたらそれがどう影響したのかも知りたいところです。

 一連の報道の中でもう一つ気になったのは「極端な炭水化物抜きダイエットは100%リバウンドする」という話です。たんぱく質や脂質を自由に摂りながら、炭水化物だけを極端に落とすといわば「炭水化物飢餓状態」になってしまい、普通の食生活に戻した瞬間に、猛烈な炭水化物の吸収が始まるからだと説明されます。
 それについては私にも知識があって、アスリートの中には試合当日に爆発的なエネルギーを出すため直前一か月ほどは炭水化物を抜き、試合の2〜3日前からドカ食いして体内にため込みそして燃やす、と聞いたことがあります。炭水化物の急激な吸収を促すために敢えて断っておくのです
 しかしそれは一流アスリートの話ですしライザップの場合は専門のトレーナーが個人指導に近いレベルで監視してくれる(そのための30万円?)からいいのであって、素人が手を出すのはやはり危険なのかもしれません。

 さて、昨日は昔の日本人が1年間に食う米の量は老若男女平均しておよそ1石、加賀百万石とかいう場合の石高はそれだけの人数を養うことのできる米が取れるという意味でその藩の経済力を表すというお話をしました。

 現在の日本人の米の年間消費量は56.9kgという半端な数なのになぜ江戸時代の人間は1石などという切りの良い数字になったか、ちょっと不思議な気もしますが実はそう決めたからなのです。毎日3合ずつ食べるとして350日ほどだから「ああ我々は1年に1000合=1石食べるんだなあ」と思ったのではなく、平均的な日本人が1年間に食べる米の量を1石と決めて、その十分の一を「斗」、さらに十分の一を「升」、そのさらに十分の一を「合」と決めただけなのです。
「起きて半畳、寝て一畳」と人間の体の大きさで長さや面積が決まったように、度量衡というのはほとんどが人間の体格や能力を基礎としてつくられています(外国でもフィートなどはイギリスの王様のひざ下の長さだったという話を聞いたことがあります)。

 その1石の米の収穫できる田の広さを1反と言います(*)。そう決めたからです。
 古代において1反は360歩でしたが太閤検地の際300歩に改められます。1石の米を作るのに360歩もいらなくなった、つまり生産性が上がったからです。

 江戸時代の初め、1石の値段は1両でした。そう決めたからです。
 年ごとの収穫量や貨幣の改鋳(質を落としたり上げたり)によって米価は激しく変動しますが、基本的に江戸270年間の最後の30年を除くとずっと1両を挟んで上下に変動しているだけです。最後の30年間は上がりっぱなしになって、それで幕府は潰れます。

 1石=1反=1両 と覚えておけばいろいろと便利です。

 ついでですが、米俵1俵は4斗(*)です。なぜ4斗などという半端な数字にしたのかというとおそらく担ぐ人間の能力を考えてのことだと思います。1石(150㎏)では絶対担げませんし半分の5斗(75㎏)でも普通は担げません。かといって3斗(35kg)では仕事のハカが行きません。
 小判も枚数が多くなると白い紙で丁寧に包みます(これを“切り餅”といいます)。25枚で一包みにしますから時代劇で「ここに100両ある」と言ったら四つなくてはなりません。私もずっと注意して見ていますが、その部分で間違った例は見たことがありません。当然ですね。
 ところでなぜ25枚かというと、これも人間が手に持つのに都合のいい大きさだからではないかと私は思っています。
 すべて人間中心なのです。

*ほんとうは1反の田からとれる米は1石1斗、米俵に入る米は4斗1升です。これは籾米を玄米にするときの目減り分を含んでいるためであって、玄米すればそれぞれ1石、4升程度になるわけです。
 けれどそこまで詳しくやると混乱するので、中学校の授業ではそこまで細かな話はしませんでした。