「米の話」a

 「ライザップに挑戦する」がうまく行かない、その理由のひとつは低糖質ダイエットができないこと、具体的には米飯がやめられないからです。単純に米の飯が好きということもありますが「米飯を辞めてしまうと日本人でなくなる」といった一種の信仰がブレーキとなっているのです。ある時期、日本人はほとんど米だけで民族をつないできたからです。

 一汁一菜という言葉がありますが、実際のところ江戸時代の庶民の食事には一菜といえるほどのものはなく、米飯に汁物、香の物で終わっていました。仏教の影響で肉食ができなかったため魚介を食べていた、という話もあってそれも間違いではないのですが、月に数回といった程度で実際には米のドカ食いで生きていたと言えるのです。米の場合それが可能なのです。

 中学校の社会科で弥生時代を扱う際、私は「スーパー食品・米」という題で授業を行いました。その直前の縄文時代は狩猟採集生活で、人々は動物や鳥の肉、魚介、ドングリなどの木の実、ワラビなど野草などを食べていました。肉はイノシシやシカ、鳥はキジ・ヤマドリ、魚はサケ・マス、木の実はトチだのクルミだの、ある意味とてもバリエーションに富んだ食事だったのです。それが稲作の流入とともに米一辺倒になってしまう、それはなぜか。実はそれは米がスーパー食品だからだ、そういう流れです。

 とにかく水と土さえあればできる、それも大量にできる、連作が可能である、長期保存ができる、とにかくおいしい、米だけでも食べられる、どんな食べ物と組み合わせが可能、栄養が豊か――そういった特色を押さえ、以後日本人が米を巡って歴史を織りなす学習の基礎とするわけです。それが理解できて初めて公地公民の意義や「一所懸命」の意味、太閤検地の歴史的意義もわかってきます。歴史を考える上での最重要な点なのです。

 ただしそのころ、私は「栄養豊か」のほんとうの意味を知りませんでした。

 もちろん炭水化物ですから強力なエネルギー源となりますが、それだけではありません。玄米で食べるとほとんどの栄養素を手に入れることができ、特に必須アミノ酸9種類が非常に良いバランスで含まれていて他の食品を必要としないのです。米を食べている限り肉や魚がなくても人間は生きていけます。

 ただしもちろん塩分は必要。また米飯だけだと必須アミノ酸のうちリジンが少々足りなくなるのでリジンを多く含む大豆も摂取したい――そう考えると味噌や漬物が欲しくなります。つまりご飯と味噌汁・香の物(簡易一汁一菜)で人間の必要なものはほぼすべてがそろうのです。

 もちろんビタミンB1が不足して脚気になる人が少なくなかったなど、問題がないわけではありません。米の場合、必須アミノ酸のバランスはいいものの含有量自体は少ないですからとにかく大量に摂取しなければなりません――つまりドカ食いも必要になります。ドカ食いすると当然エネルギー過剰になりますのでとにかくよく働く、そういったサイクルもできあがります。

 ところで昔の日本人はどれくらいの米飯を食べたのか。

 一説には一日5合、つまり二日で一升ずつ食べたと言われています。普通の家庭用炊飯器のほぼ最大ですから大変な量です。いかに米好きの私でも食べられる気がしません。しかし振り返って学生時代、5合の米を仲間と3人で一気に食べたことがありますから、二十歳前後の男性ならそれほど難しい量でもないかもしれません。けれどさすがに女こども・お年寄りはそんなに食べない。老若男女すべて合わせるとなると一般に言われるように1日3合というのが妥当な量でしょう(それにしたって現代では二人でも食べきれない)。

 一日3合、一年365日で1095合。厳密にはそういう計算になりますが大まかに言って、昔の日本人が1年間に食う米の量はざっと1000合(150kg)と考えられます。

 1000合=100升=10斗=1石です。

 俗に加賀百万石と言い実際には120万石だそうです。その数字が正しいとすると加賀藩には120万人が一年間暮らせるだけの米の収量があったことになります。

 税として取り上げられた米の大部分が大阪に送られて現金化されますので実際に加賀に120万人が暮らしていたわけではありませんが、石高にはそうした意味があって藩の経済力を示したのです。

                              (この稿、続く)