カイト・カフェ

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「学力報道のイカサマ」〜自分の目で見る③

 2001年1月8日に中国新聞が書いた。
「昨年末、国際教育到達度評価学会が公表した『国際数学・理科教育調査』では、日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位。数学と理科が好きな生徒の比率は参加三十七カ国・地域のビリから二番目という情けなさ」
について書いています。

 国際教育到達度評価学会(IAE)の調査は1995年から4年ごとに行われていますが、記事が参照したと思われる国際数学・理科教育調査(TIMSSと略される)の1999年版で調べてみると、調査に参加している「東アジアの国」は韓国と日本だけです。広く「アジアの東の方の国や地域」と幅を広げても五つの国および地域(シンガポール・韓国・台湾・香港・日本)にすぎません。ただし記事のとおり、日本の成績(中学校2年生数学)は五つの国・地域の中で最下位。記事の趣旨からすると実に情けない結果、と言いうるのかもしれません。

 では参加37か国の中、日本は全体の何番目くらいに位置するのでしょうか?
 20位くらい? それとも30位以下?
 1位はフィンランド? イギリス? ドイツ? 

 答えは「参加37か国中、日本は5位」です。東アジアでも「5位」、世界でも「5位」、この年のTIMSSのトップ5は“アジア東部”が独占していたわけです(この傾向は今日までずっと続いています)。

 だったら中国新聞は「日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位」と書かずに「日本の中学生の数学は世界第5位(37か国中)の成績」と高くぶち上げてもよかったはずです。それなのに敢えて前者を選んだ――。
 そこにあったのが「日本の子どもたちの学力は低い」という錯覚を起こさせようとするイカサマなのか、それとも「シンガポール・韓国・台湾に負けるなんて」といったアジア蔑視なのか・・・いずれにしろろくなものでないことは確かでしょう。

 この記事の前後、2001年ごろ始まった「学力問題」は学校にとって大きな衝撃でした。
 つい数年前まで、河合隼雄の「子どもと学校」に見られるように、私たちは「教えすぎる」「詰め込みすぎる」「受験競争に子ど駆り立てている」と蛇蝎のごとく憎まれていたのです。
 それはまったくお門違いで、私たちは学力偏重でも詰め込みでもなく、ましてや受験競争に教師が主導して子どもを追い込んでいたわけでもなく、目の前の不勉強な生徒の、学習指導や生徒指導に努力していただけなのです。しかしマスコミも社会も、学校を勉強と校則で子どもをがんじがらめにして楽しむサディストの集まりのようにしか思っていいませんでした。そうした目から見ると、不登校も青少年非行も「子どもの締め付けに熱中する学校」に対するアンチテーゼとしか見えませんでした。

ゆとり教育」はそうした学校の在り方を根本から変えようとする試みでした。子どもにゆとりを与えた上でしかも国際社会に通用する人材を育てる、そういう「夢の教育」です。
 もちろん私たちはそれを信じませんでしたし、授業時数を減らしてなおかつ優秀な人間が育つなどとてもイメージできるものではありませんでした。到底むりだと思ったのですがしかし“政策”です。その苦い薬は飲まざるを得ないものでした。

 短い時間で効率よく学習を進める方法を考えたり「総合的な学習の時間」という全く未知なものに取り組まされたり、時間もエネルギーも大量に投入して今ようやく準備が整いかけたその2001年(「ゆとり教育」を象徴する完全学校五日制が始まったのが2002年、「総合的な学習の時間」が完全実施されたのも2002年)、せっかく準備した「ゆとり教育」もまだ始まらないというのに、あれほど詰め込み教育を批判していたはずのマスコミが一斉に、
「ところで学力は大丈夫なの?」
「競争なしでどうやって学力を高めるの?」
「数学や英語、きちんと教えているの?」
「学力、落ちてんじゃない?」
と言い出したのです。

 とんでもなく危険な梯子を無理やり昇らされて、やっとたどり着いたと思ったら外され、「なんで屋根の上にいるの? お前らバカか?」と言われているようなものでした。

(この稿、続く)