カイト・カフェ

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「こと教育に関して『欧米では』ときたら、それは真似してはいけないことだ」〜自分の目で見る②

 私は素直な性質で大人になってかなりの年まで「新聞や雑誌、書籍・テレビといった公器を使っていい加減なことやウソを言う人はいない」と思い込んでいましたので、日本心理学界の重鎮(だった)河合隼雄ですらいい加減だと知ってからはむしろいちいち疑ってかかるようになりました。本に何が書いてあってもテレビで誰が発言しても、それらはすべてウソなのかもしれあないのです。けれど同時に、そう思いながら勉強するのもシンドイ。何を学んでも無駄かもしれないと思うと学習意欲など沸いて来ません。
 そしてやがて、私は一条の光を見出します。松居和という人の書いた「子育てのゆくえ」という書籍の中にこんな一節があったのです。

(私は)家庭の問題に関して『欧米では』ときたら、まず反射的に『それは真似してはいけないこと』と考えるような癖がついている

 これは鮮やかな視点です。当時はテレビでも雑誌でも、「だから日本人はダメなんですよ」とか「そんなことをやっているのは日本だけです」とか、「欧米に比べると20年は遅れています」とか言っていれば評論家として成り立った時代ですから、「欧米の方が間違っている」という視点はものすごく新鮮だったのです。そしてその新鮮な視点からみるとそれまで理解できなかったことは、むしろ見事なくら明らかになってきます。
 さらに私は、松居和の「家庭の問題に関して」を、「教育に関して」と枠を広げても、「国民生活に関して」といったところまでもっていっても、かなりやっていけることに気づきます。
 そして日本の教育や日本人の生活を悪しざまにいう言説があると、反射的に「それは間違っているに違いない」と思い、調べるようになったのです。

 例えば2001年1月8日、中国新聞は「新世紀の課題 学力低下 基礎・基本の反復を」という見出しで次のような記事を掲げました(他紙も同じような記事があったはずですが、私の手元に残っているのがたまたま中国新聞です)。

 大学、産業界、あるいは教育現場に子供たちの「学力低下」を心配する声が高まってきた。初閣議で、森喜朗首相は来る国会を教育改革国会にしたいと教育関連法案の成立へ意欲を示したが、学力低下問題への対応を避けては通れない。
 昨年末、国際教育到達度評価学会(JEA*)が公表した「国際数学・理科教育調査」では、日本の中学生の数学は東アジアの参加国で最下位。数学と理科が好きな生徒の比率は参加三十七カ国・地域のビリから二番目という情けなさ。(後略)
*国際教育到達度評価学会の略称はIEAが正しい

 反射的に戦闘モードに入った私の頭はまず「いくら何でもアジア最下位はないだろう」と考えます。アジアには識字率も十分でない国はいくらでもあります。
 しかしそれから「いくらなんでも公器『中国新聞』、そこまで大きな過ちはしないだろう」と考え直し、記事を読み直すと“アジアで最下位”ではなく、“東アジアの参加国で最下位”なのです。
 “東アジアの国”となると中国・北朝鮮・韓国・日本の4か国に限定されます。しかし北朝鮮の学力が日本より高いということもなさそうですし、広大な面積と人口をもつ中国も農村部まで含めれば平均値はそこまで高くない気もします。やはりここはきちんと調べてみなくてはなりません。

(この稿、続く)