「自分が小学生だったときの教科書に、どんな話が載っていたのか」
この設問にはかなりの人がすぐに答えられるような気がします。何といっても教科書は珠玉の作品の固まりですから、誰でもひとつぐらいは記憶に残っていて不思議はありません。私にとってそれは、薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)の「天文学者」です。
おおざっぱなストーリーはこうでした。
「ある日、ひとりの天文学者が友人と高級な店で食事をしたのだが、支払いの段になって惜しくなり、ちょっと考えてから店の主人こんな話をした。
『天文学の立場からすると全てのものは2千5百万年すると元に戻ってくる。ということは今から2千5百万年後の今日、まさにこの場所で私は友人と食事をしているはずだ。そこで相談なのだが、その時まで、今日の勘定はツケにしてもらえまいか』
すると店の主人は満面に笑みをたたえ、
『ようございますとも、旦那様。ただし条件があります。忘れもしません今から2千5千万年前、旦那様は手前どもの店で今日と同じものを食べ、同じようにお支払いをツケにしました。その時の分をいただけるなら、今日の分は喜んで次回までのツケといたしましょう』
そこでしかたなく、天文学者前回の分として、今日と同じ金額を支払いました」
私が特によく覚えているのは、最初の場面で「いくら高名な天文学者と言っても空の星がお金をくれるわけはなく、だから彼はいつも貧乏でした」といった部分です。正確ではありませんが内容はそうです。子ども心に「ほんとうに天文学者というのはどうやって生活していたのだろう」と思ったことを覚えています。
もちろん今なら、19世紀以前の天文学者の多くが大学の教員として生計を立てていたことを知っています。しかしもう一歩進んで、「なぜ星々から一銭の収入も期待できないのに、大学は天文学の講座など開設ができたのか」となるともう答えは分かりません。
「天文は気象に影響を与え、気象は経済に直結するから、天文学をきちんと行うことには意味がある」というのはいかにも現代的な知識であって、19世紀以前はそういうことはなかったはずです。だったらどういう情熱が天文学を残したのか。
同じように、「19世紀以前のヨーロッパの画家たちはいかにして飯を食っていたのか」「デカルトやカントは 『哲学』などというものをやっていてなぜ飯が食えたのか」。日本で言えば「芭蕉は旅費をどのように捻出していたのか」「脱藩した坂本竜馬の生活費はどうなっていたのか」。フィクションでは「シャーロック・ホームズはたいてい暇そうなのに金持ちなのは何故か」「日本の浪人の中には年じゅう釣りばかりしているヤツがいるが、生活費はどうなっていたのか」。これらはすべて不可解な謎です。
こういうことにはすべて理由があります。それを調べるだけでもけっこう面白いはずです。いつか時間ができたら、「人はいかにして飯を食っていたのか」といったテーマで勉強してみたいと思っています。