カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「なんという不条理な死」~子どもが死ぬことをどう乗り越えるか 1

 私は宗教に心を寄せるが しかし信じない
 それは多くの宗教が
 正義の実現を来世、またはいつか分からない未来に置くからだ
 私は待てない
 特に子どもの死を 神が放置するとしたら
 そんな神様は 私はいらない
というお話

f:id:kite-cafe:20190529052910j:plain(ピーテル・パウルルーベンス 「ソロモンの審判」)

【来世の約束はいらない】

 ほぼ定期的にあっている女性がいます。今の家に引っ越したころ以来ですから、もうかれこれ四半世紀になろうかという長い期間です。
 2~3カ月に一遍、あるいは半年に一遍、また時には1年近く間を置いて突然訪ねてくる、あるキリスト教系宗教の勧誘者です。私より少し年長といった年ごろでしょうか、先日訊いたらこうした訪問はもう40年以上も続けているという話ですから大したものです。

 私は宗教を持たない人間ですが、宗教を信じる人はとても尊敬しています。教え子でも、教義が日本の学校制度と会わず時々面倒くさいことになりがちな子がいたりしますが、面倒は面倒でも、その立ち振る舞いや生き方は美しく、「やはり人間は宗教を持たなくてはダメなのではないか」と思わされること再三です。

 けれど私が特定の宗教の信者となることはありません。特にキリスト教系の宗教は前述の女性が25年に渡って熱心に掻き口説いてくれても、受け入れることはできないのです。

 それはキリスト教の人々が、多かれ少なかれハルマゲドンと千年王国を考えているからです。

 地球上で善と悪の緊張が極限まで高まると、ハルマゲドンと呼ばれる最終戦争が起こり、やがて神が勝利するとそこに千年王国が出現する。そのときかつて神の側に立って戦い、正義のために殺された人々も復活し、神とともに生き、地上の楽園を楽しむ――そんな意味合いの思想です。

 他の宗教・宗派で言う「天国」とか「極楽」といった概念も気に入りません。
 正しい行いをした人たちは、仮に地上で不遇であっても、来世は保証されている。必ず幸せな世界に生まれ変わる。逆にこの世にあだなした人々は、現世でいかほどに恵まれているように見えても、来世では必ず報いを受ける。

 しかし私には、来世などどうでもいいのです。
 現世において因果応報のなされることが大切で、それを保証しない宗教にはまるで興味が湧かないのです。

 

【子どもの死を、神はどう説明してくれるのか】

 いや、そうではない、神の見えざる手はすでに日々、因果応報を果たしている。
 それでも正しく生きる者が幸せになれないと思うのは、その人が自分の罪に気づいていないからで、自分の気づかない罪を知れば、現在の不遇も理解できるはずだ――そういう人もいます。

 いいでしょう、その説を飲みましょう。
 しかしその上で重ねて聞くのですが、戦争のさなか、敵軍に襲われた街で残酷な殺され方をした赤ん坊には、どんな罪があったというのでしょう? 19世紀のロシアでは母親の腕から奪い取られた赤ん坊が、空中に高く投げ上げられて銃剣で受けられるということがありました。そんなことが日常茶飯に行われたわけですが、その赤ん坊に何の罪があったのか、その子の死にどういう意味があるのか、その苦しみはどうやって贖われるのか。
 それに答えられない宗教には意味がない――。

 私のオリジナルではありません。小説「カラマーゾフの兄弟」で主人公の一人、イヴァン・カラマーゾフがそう言っているのです。
 子どもが無残に殺されていくのを見過ごすようなら、そんな神はいらないと。

 

【自分自身の周辺の、子どもの死をどう乗り越えるか】

 ここのところ小学生以下の幼い子供たちが殺されたり事故で亡くなったりするニュースが続いています。

 昨日の川崎の事件でも無辜の6年生の女の子が殺され、しかし容疑者は自殺してしまいましたから司法によって裁かれることもありません。
 女の子は今、天国で至福の時を迎えている、容疑者は地獄で、塗炭の苦しみを味わっている、そう考えることのなんと無意味なことか。まったくの無味乾燥で何も響いてきません。

 8日に大津市で起こったのは事件ではなく事故ですからさらに始末が悪い。
 原因が「不注意」では、被害者家族も加害者を恨み切ることもできません。

 二人の死と13人の重軽傷――その罪を贖うためには何百年分もの懲役刑が必要でしょうが、今の日本には、合衆国のように懲役を重ねて何百年とする制度はなく、あったとしても現実に刑期を満了する人もいません。

 私たちはこのやり場のない気持ちを、どうしたらよいのでしょう。
 自分の親族や教え子に万が一のことがあった時、それをどう乗り越えたらいいのか。

                                (この稿、続く)