「全員そうだとは言わないが、病気で不登校だという子だっている」~王様は裸だと言えなかった話①

 継続的に学校に行けない子、行かない子がいるということがはじめてニュースに取り上げられたのは、1975年ころのことだったと思います。不登校の歴史は40年近くにもなります。

 最初、不登校は怠学のように考えられたため、子どもは保護者や教師から猛烈なアタックを受け、(今から考えるとそのために)重大な二次障害に陥る例も少なくありませんでした。しかし一方、その猛烈なアタックのおかげで学校に戻った子も少なくありませんでした。

 それからしばらくして、一部の“専門家”や子どもと戦うことに疲れきった保護者の中から、「不登校は学校の管理主義や受験主義に対する正当な反応で、よりデリケートな者が表明する“異議申し立て”なのだ」という説が唱えられるようになります。スローガンは「登校拒否は病気じゃない」です。

 やがて親と教師と一部の専門家によってグチャグチャにされた子どもの中に、中央のより高名な医師や心理学者に診てもらおうとする人たちが出てきます。そしてその子たちに接した一流の“専門家”のさらに一部が、「登校拒否児は登校刺激を与えないことで元気になる」という発見をしました。今から思えば強い登校刺激によって発現した二次障害の部分を解消したに過ぎないのですが、当時としては画期的なことのように思われました。子どもの一部がそれによって生き生きと活躍するようになり、積極的に学校の非を訴えたりするようになったので、不登校問題の決定的な解決法が見つかったように勘違いされたのです。

 その時期もなお登校させることに主眼を置き、夜討ち朝駆けで奔走していた教師たちは蛇蝎のごとく嫌われ蔑まれました。しかし一方、多くの教師はそんな危険なことはせず、「登校刺激を与えずに静かに待つ」という新たに提唱された論に従いました。なんといってもその方が楽だったからです。そんなふうに2〜3年も待っていれば、児童生徒か自分の方が学校を離れ、まるで問題がなかったかのようにすることができました。

 そのころ、世論に押された文科省が「不登校は特定の児童生徒に発現するものではなく、すべての子どもに可能性のある問題だ」と言いはじめ、不登校の研究は大いに頓挫します。それはたとえば「コレラは誰でも罹る伝染病だ」というのと同じで、個体の特質は問題とされないからです。コレラについて、罹患者や家族の病歴、喫煙や飲酒といった生活習慣、身長や体重などを問題とする視点はありません。なぜならそれは「誰でも罹る病気」だからです。こうして不登校は学校問題にすり替えられ、(少なくとも表面的には)個人を研究することができなくなりました。

 ただし程なく保護者の方から「学校は何もしてくれない」との不満が発せられるようになり、学校は再び動くようになります。登校刺激を与えずに静かに待っていても、何も起こらないことはすぐにはっきりしたからです。そして今日にいたります。

 不登校の歴史をざっと概観してきましたがそれが目的ではありません。私が今思っているのは、そのときどき、自分が文科省の指示や世論や専門家の発言やマスコミの力に負け、何度も節を曲げ、そのためにたくさんの子どもを犠牲にしてきたことです。

「登校拒否は病気じゃない」といわれたら「全員が全員そうだとは言わないが、病気で不登校だという子だっているだろう」、そう言えばよかったのです。

不登校は特定の児童生徒に発現するものではなく、すべての子どもに可能性のある問題だ」と言われたら、優秀な子をひとり指差してこう言えば良かったのです。
「あの子が絶対に不登校にならないとは言わないが、あの子を不登校にするにはよほど丁寧な計画と方策が必要なはずだ。あの子を不登校にするのは容易ではない」と。

 しかしそのつど「王様は裸だ」という勇気がないばかりに、多くの不登校をそのまま卒業させてしまいました。今も多くの子たちが、問題を抱えて苦しんでいます。

 それが私の瑕疵です。