男の子、女の子

 昨日の研究授業を見ながら思い出したことが二つありました。そのひとつがゲーテの言葉、

「若い男が教え、若い女が学ぶとき、勉強ほど楽しいものはない」

 男の子は何でも知ったかぶりしますし、女の子の優位に立つ機会などめったにありませんから勉強を教えるなんて嬉しくてしょうがないのです。勉強でなくても音楽のことでもバイクのことでも、(相手が興味を持ってくれるなら)プロレスのことでも何でもいいのです。相手が「○○くんて、すごい」とか「頭がいいんだね」とか言ってくれるなら、男の子は何でもします(ちなみに陸上部の顧問が若い女性教師で、「○○君頑張って〜」とか叫ぶので死にそうな表情で限界まで走って、ついに自己記録を更新した中学生を見たことがあります。

 思い出したもう一つのことは、初めて中学校の教員になった時に先輩教師から教えられたことです。

「中学校は女の子を育てるところだよ。女の子がみんな『真面目できちんとした男子が好き』と言い出したら、男の子はみんな真面目できちんとした子になってしまう。それに女の子は15歳が限界だからね。15歳できちんと育っていれば容易に崩れないし、15歳で曲がってしまった子はめったに戻らない」

 前半はさっき私が書いたことと同じです。しかし後半はそれなりに意味深いことでした。

 言われてみると15歳はともかく、二十歳の女の子は相当に大人です。それに比べると二十歳の男なんてまるっきりガキで話になりません。少なくともと公的な場ではそうです。

 今では死語になりましたが「万年青年」と呼ばれたのはみんな男性で、中年になっても“若い”と言われる女性は外見上“若い”だけのであって中身は十分に老成しています。

 児童自立支援施設の担当者から話を聞いたことがありますが、その人も「男の子はここで築いたヤバイような人間関係をつかって、それでも曲がりなりにカタギの生活のはしくれを生きるようになるが、女の子はダメだ。行ったきり戻らない」と言っていました。女の子はここが限界なのです。

 では男の子はいつまで変化の可能性があるのか(別な言い方をするといつまで指導や教育を続けなければならないのか)となると、これはもしかしたら30歳を過ぎても固まらないのかもしれません。

 私自身も、口うるさい母親がある時期からピタッと何も言わなくなって、ある日「いつからオレのこと、もうこれ以上何も言わなくていいと思った?」と訊いたら、「結婚して上の子が生まれ、3年くらいたったとき」と言っていました。私はもう40歳直前でした。しかし同時に、それは私の実感とも合うのです。あまり真剣に考えなくても世の中を何んとか渡って行けそうだと感じ始めたのが、ちょうどそのころです。

「中学校は女の子を育てるところだよ。女の子は15歳が限界だからね。15歳できちんと育っていれば容易に崩れないし、15歳で曲がってしまった子はめったに戻らない」

 教師になって30年近い間、ずっと大切にしてきた言葉です。