カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「市長の聖戦」~橋下市長、桜宮高校のスポーツ系学科の入試を止める

 桜宮高校のいわゆる体罰=自殺事件に関して、橋下市長が今のままでは新入生を受け入れる体制にないとして体育科とスポーツ健康科学科の二つの入試の中止を求めた問題、結局教育委員会が折れ、普通科として120人の枠を取り、入試を行うことで決着しました。
 予算執行を盾にとり、「そのまま入試をやったら大阪の恥ですよ」とまで言って強硬姿勢を崩さなかった橋下市長の、一方的な勝利という感じです。しかしこの橋下氏のやり口には、終始、奇妙な違和感がつきまといました。

 橋下市長はもともと体罰を肯定する側にいたはず、ということもあります。しかしそれより大きいのは、体罰=生徒の自殺という事実は重いものの、「この状況で部活をやったら、人間としてはダメだ」とか「校長をはじめ教職員を総入れ替えしない限り普通科の入試も認めない」とか、「入試中止を決定しなければ予算執行をしない」とか、そういった言い方で生徒や学校、市教委をグイグイ追いつめていく様子は、手足こそ出さないだけで、問題の体罰教師とそっくりに見えるからです。

「主将を続けるか、それとも2軍か」「入試中止か、それとも予算執行停止か」―この二つの言葉の差を説明することは、私には簡単ではありません。

  スポーツで名を上げ、スポーツで大成しようと桜宮高校に入学してきた生徒の部活を全面的に停止し、桜宮を目指して今日まで努力してきた受験生やその家族の夢を砕き・・・と、そこまでやらなければ桜宮高校の体罰体質はなくならないものか、そういった本質的な問いについては全く論議されないまま、橋下市長のスピードに巻き込まれる形でさまざまなことが決まっていきます。
 私は件の教師に対して、その技量や情熱を惜しむことはあっても同情する気持ちは一片もありませんでしたが、ここにきて少し心配になっています。体罰によって生徒を自殺に追いつめたことが事実としても、二つの学科を高校から抹消してしまうほどの罪だとは思ってもみなかったことでしょう。そうだと分かっていたら、絶対に暴力などしなかったはずです。

 そこでようやく私は気づきます。これは橋下市長にとっては体罰や教育の問題ではなく、市教委を服従させるための手段なのです。首長から独立性の高い教委を屈服させるためには、正義の大鉈を振るいつづけるのが一番いいのです。だから勝ち切るまでやめない。

 おそらく市教委も学校関係者もマスコミも、分かっていながらけっして言おうとしないのです。何しろ相手の言っていることは“正義”ですから逆らいようがない。

 そういえば当選して市庁舎に入り、最初にやった仕事がコンピュータ・サーバーにあるすべてのメールをチェックし、勤務時間内に反橋本で選挙運動をやった職員を洗い出すことでした。実際には3割程度調べたところで突然やめてしまいましたが、職員の肝を心から凍らせるには十分だったはずです。途中でやめたことで、一部の職員は感謝さえしたかもしれません。

 橋下徹という人は実に喧嘩のうまい人だなあと思うことがあります。一方では極限まで追いつめ、別のときには懐深く抱きしめる。これをやられたら普通の人はかないません。尼崎連続殺人事件の角田美代子という人も、そんな人だったように思います。

 いずれにしろ桜宮高校の在学生やOBの声も、今日まで頑張ってきた受験生の声も届きようがありません。

 なにしろこれは市長の聖戦なのですから。勝利のときまで終わりはないのです。