カイト・カフェ

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「どんな教師が生徒を殴るのか」~子どもたちは天使じゃない3

 町田の高校暴力教師は、ほんとうに普通の“良い先生”だったのだろうか
 なぜ彼が選ばれて挑発されたのか
 生徒を殴る教師とはどういう人たちなのだろう
というお話 

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【町田の事件報道で感じた違和感】

 町田市で高校教師が生徒に暴力をふるった事件で、報道の中に違和感を持ったところがありました。それはこの教師に関する説明で、
「暴力をふるった教師は過去約10年間処分歴はなく、体罰事案を起こしたことはない」
と紹介した部分です。
 体罰するような先生ではないというのに「過去10年間」と限定する必要はありませんし、言うにしても「約10年」と「約」をつけるのも不自然です。教員の処分に関する記録はきちんとした形で教育委員会に残っているはずですから。

 そこから私は、この教師が9年数カ月前に何等か処分を受けたことがあるのではないかと疑っています。それが体罰事案だったかどうかはテレビの説明の「約10年間」が「処分歴」だけにかかるのか「体罰事案」も含めてのことなのかによって異なります。文章上は「体罰事案は10年以上さかのぼってもない」という読み取りがすっきりしますが、元資料ではなくテレビ局の記述ですのではっきりしません。

 ただ私はここでもそれが体罰に近いものだったのではないかと疑っています。なぜなら暴力事件の被害者とされる生徒は、わざわざこの教師を選んで噛みついているからです。

 

 【挑発に乗りやすい教師が選ばれる】

 話はすこし寄り道してちょっとした笑い話ですが、30年近く前、都会のある中学生たちが暴力団事務所の前で爆竹を鳴らすと面白いということを発見します。

 普通の家の前でやっても住民が少し遅れて不思議そうな表情で出てくるだけですが、暴力団事務所だと血相を変えた若い衆があっという間に飛び出してきます。銃弾を撃ち込まれたと思うからです。
 それが面白くて何回もやっているうちについにひとりがつかまり、仲間も呼び出されて3人で事務所に引きずり込まれたそうです。
 その上で正座で説教されたとか。
「こんなことをしていると、お前らロクな人間にならないぞ」

 最後の部分は盛られた話のような気もしますが、当時の新聞で読んだ実話です。かくのごとく子どもたちは人の弱点を見つけるのが早く、容赦がないのです。

 今回の町田の暴力事件についても、暴力をふるった教師が生徒指導担当だったからとか、ピアスの件でしつこく指導していたからとか、あるいはそれ以外の教師が見てみぬふりをしていてこの教師だけに任せていたからとかさまざまに推測されていますが、私は子どもたちにとって扱いやすい、からかうにちょうどいい教師だったからではないかと考えています。
 おちょくればすぐに熱くなる、しかし絶対に暴力はふるわない――。
 だから被害者の少年はカメラマンが3人も待機する廊下へと、教師を連れ出したのです。

 挑発に乗って怒り、ワナワナと震えながらしかし手も足も出ない教師の様子を、SNSに上げてあざ笑ってやろうとでも思ったのでしょう。本当に殴ると思わなかったことは、動画の最後で撮影者たちが「えっ!?えっえ?」と本気で驚いている様子でも分かります。

  

【一家の大黒柱が危ない】

 この事件の暴力教師は、今後どうなっていくのでしょう。
 懲戒の程度は各地方自治体で異なりますが、生徒に対する体罰は多くの場合、懲戒免職です。

 教員の懲戒免職は異常に厳しい処分で、退職金や年金に関わるだけでなく教員免許自体も取り消されてしまいます。つまり二度と教壇に立てない。場合によっては塾講師にもなれません。

 教員は研修の中で、繰り返しそのことを言われています。それにもかかわらず体罰事件は平成29年度だけで699校773件も起こっているのです(平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査結果について)。

 内訳は男性教諭が圧倒的に多くて女性の約10倍(703人:70人)、校種別では高校(41%)、中学(33%)、小学校(24%)の順になっています(残りは特別支援学校など)。
 体罰をした教師の年代は50代が一番多く38%。続いて30代が25%、40代24%の順になります(20代が少ないのは母数が少ないこととも関係するでしょう)。

 ひとことで言ってしまうと、老後の準備もしなくてはならないし子どもの進学などで最も出費のかさむ50代の一家の大黒柱が、体罰によって懲戒免職となり生活の糧を失う可能性が一番高いということです。

 町田の事件の加害教諭も50代でした。
 暴力をふるえばすべてを失う、一番大事な時期に生活を根底からすくわれる――そう分かっていながら彼らはなぜ暴力をふるうのか――。
 そういった観点から体罰問題を扱った論評を、今まで私は見たことがありません。 

                       (この稿、次回最終)