カイト・カフェ

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「親の努力に心を寄せる」~発達障害を持つ子の、母を救う四つの言葉①

 先週、文科省より「普通学級に通う公立小中学生の6.5%(40人学級で1クラスに2〜3人)に発達障害の可能性があるが、そのうち約4割は特別な支援を受けていない」といった内容の発表がありました。その関係かと思いますがNHKのラジオで発達障害が取り上げられ、「えじそんくらぶ」の理事(?)という方がインタビューを受けていました。「えじそんくらぶ」はADHDを中心的テーマとするNPOです。

 18歳になるお子さんがADHDなのですが、まず出産前から多動だったということに驚かされました。赤ちゃんがお腹の中で動くのが幸せというふうではなく、苦痛なほどに暴れまくったといいます。

 乳幼児期も大変だったが小学校に入るとタガが外れたかのように一気に難しくなり、問題ばかり起こすようになったこと。これは分かります。なんといっても学校は幼稚園や保育園のように子どものペースで動くところではありませんから。 子どもがADHDではないかと疑うようになったのは、入学後二ヶ月ほどして、養護教諭の話からでした。

1 「この子はとってもいい子です」

「この子はとってもいい子です。でもそれなのに次々と問題を起こすのは、もしかしたらこういうことかもしれません」
 入学した小学校の養護教諭はそういってADHDに関するパンフレットを渡してくれたそうです。しかし「この子はとってもいい子です」から話が始まらなければ、母親は素直に病院へ行ったでしょうか。“この子にとても迷惑しているから病院に行ってくれ”そんな表情や雰囲気から始まっていたら、次の展開は違ったものになっていたかもしれません。

2 「お母さん、よく育てて来られましたね」

 専門医にかかったところ、そのお医者さんはこんなふうに言ったそうです。
「お母さん、よく育てて来られましたね。ほんとうに大変だったでしょ。こういう子は普通の人には育てられないのです。もしかしたらお母さんは選ばれてこの子の親になったのかもしれません」
 号泣したそうです。それまでは育て方が悪いからこうなった、親としての能力がないからうまくいかない、人からもそう言われ自分でも責め続けてきたので、初めて褒められてうれしかったのでしょう。それとともに“誰も悪くなかった、子も親も誰かが悪かったわけではなかった”ということで本当にほっとしたようです。

 そして以後、視覚支援として家じゅうにポスターを貼ったり、指示の出し方に工夫をしたり、トークンをたくさん用意して宿題をきちんとできるようにしたりと、指導の方法をいろいろ試して行ったようです。すべきこと、進むべき方向が分かったことで、ずいぶん気持ちにも余裕ができましたが、だからと言ってそれですべてがうまくいったわけではありません。物事がうまくいくにはタイムラグがあるのです。  

(この稿、続く)