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「少人数教育の行方」~ほんとうは50人学級だって困らない

 私は一時期、へき地の学校に勤務していたことがあります。へき地といっても昔に比べると交通の便もよくなり、以前のような印象はありません。ただ1クラス10人を切る中で、へき地教育よりは少人数教育という点で学ぶことの多い学校でした。そして近年は、都市部における少人数教育というものが問題となりつつあるのです。原因は少子化と35人以下学級制度です。

 35人以下学級制度は1クラスの最大数を35人とするもので、仮に新入生が36人だとこれを2クラスにしなければならない制度です。18人の学級がふたつできるわけです。
「35人学級制度のおかげで18人の学級になった」というのも妙ですが、それが事実です。

 これが351人だと事情が違ってきます。新入生が350人なら10クラスですが、351人だと11クラスにしなければならなくなり、350÷11で32人のクラスが10、31人のクラスが1できます。
 さっきの1学年36人のケースと比べると明らかですが、全体の数が多ければ多いほど1クラスの児童生徒数が35人に近づくわけで、少子化の今日、1学年350人などということはほとんどありませんから、35人学級制度で自動的に「30人学級」ができあがってしまいます。また実際は30人規模学級どころか、少子化のために学校規模が小さくなるにしたがって1クラスが20人以下という学級が急増しているのです。

 ここで出てくるのが本当にそれでいいのか、という問題です。確かに学力向上という点では20人以下学級は理想です。しかし日本の学校は道徳性や社会性を学ぶという重要な責務を担っています。1クラス18人で十分な社会性を育てられるのか、1クラス40人もいたころと比べて大丈夫なのか、そう考えると社会性の涵養にはむしろ人数の多いほうが有利という面も見えてきます。

 結論から言えば、私は40人学級でも一向にかまわないと思っています。50人だって平気です。1クラスの児童生徒数が40人であろうと20人であろうと、ごく一部の者に手を取られ大多数を放ったらかしにせざるをえないという実情は変わらないからです。
 日本の学校は一人ひとりを丁寧に見ようとします。しかし全員を同じように丁寧に見ていったら時間はいくらあってもたりません。おのずと学習困難な子、生徒指導上問題の多い子にエネルギーが裂かれます。そうなるとそれ以外の子はどうしても手薄になってしまうのです。だったらその「それ以外の子」を別の誰かが見ればいいのです。

 私は36人の児童生徒を二つに割って二人の担任に分けるのは愚かなことだと思っています。36人の方が社会性は育てやすいに決まっています。36人はそのままにして、より援助の必要な子に一人の担任をつけ、その他大勢を別の担任が見る、そうしたティーム・ティーチングこそが問題解決の有効な手段だと思っているのです。

 しかし担任教師を2倍にしようというこのアイデア
 OECDで最低の教育予算しか出さない日本の場合、とても果たせるものではありません。