カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私は親の責任を問わない」~同窓会に招かれてこんな話をした

 同窓会の席で、一人の女の子(ただし今は40歳)と長い話をしました
 その子のお母さんの話です
 私に大切なことを教えてくれた人です
というお話。 

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【崖っぷちの子】

 およそ3時間余りの同窓会で次々とお酌に来る元生徒たちと話す中で、思わぬ記憶が呼び覚まされて長話になったり、深刻な内容になったりと会話が長引く場合もあれば、話し始めたはいいがやはり思い出がなく、長続きしないこともあります。

 ほんとうに申し訳ないのですが、今回の同窓会は話のできる子とそうでない子の差が、とても大きかったのです。

 一年間だけの担任でしたが、一部にものすごくエネルギーのかかる子がいたので他の子、とくに「良い子」たちはほとんどほったらかし。だから「良い子」たちの確たる記憶がない。逆に「良い子ではなかった子」たちについては、語りつくせないほどのエピソードがあったりするのです。

 その「良い子ではなかった子」のひとりが奈美です。
 昨日お話しした「高校に入学してから3カ月も家出をしていた子」の大親友で、当時は悪いことばかりしていました。

 髪は染める、スカートはたくし上げる(ミニにする)、爪は伸ばす、名札はつけない、授業はさぼる、勉強はしない、夜遊びはする、ちょっと心配な男の子たちとクラスの枠を越えていつも一緒にいるといった具合で、心配の種が絶えません。

 とは言っても本格的なワルではなく、いわば崖っぷちで楽しく踊り騒いでいる感じで、いつ落ちるか分からないからこそ、その子たちのために東奔西走せざるを得なかったという感じです。どうするかに悩んで、「崖っぷち」という童話を書いたほどです。

  奈美ともう一人が朝帰りをした顛末については、以前、このブログにも書きました。

kite-cafe.hatenablog.com

kite-cafe.hatenablog.com クラスには奈美を含めてそんな女の子が何人もいましたので、正直、私は一年間誰も妊娠なかったらオレの勝ちだくらいに思っていて、実際だれも妊娠しなかったのでオレが勝ったと思ったほどです。

 しかし彼女たちも、いまや二児、三児の母親です。奈美には写真を見せてもらいましたが母親似の、とても可愛いお嬢さんでした。

 奈美とはとても長い話になりました。しかし昔の非行話に花が咲いたからではありません。この子以上にその母親に強い印象と恩義があったからです。

 私はこんなふうに話しました。

【母の流した二筋の涙】

「奈美さんね、あなたのお母さんは私の前で二度泣いたことがあるんだよ。私は二度、お母さんの涙を見た。

 お母さんのお母さん、つまりあなたの一方のお祖母さんは大変若く死んだんだよね。お父さんのお父さん、つまりお祖父ちゃんのひとりも早く亡くなっている。
 あなたが問題を起こしてお母さんに学校へ来ていただいたとき、お母さんはこんなふうに言ったんだ。
『私は父子家庭の娘で主人は母子家庭の息子で、つまり二人とも同性の親を知らなくて、だから子どもの育て方が分からないのです』
 そして、泣いた。

 私はその最後の『育て方が分からないのです』という言い方に、なんとも言えない哀しみを感じた。
 もちろん『分からないからしょうがない』と居直っているわけではない。教えてくださいといった話でもない。
 絶望しているわけでもなく、なんて言ったらいいのだろう、とにかく不安で不安でしかたない――そんな感じなんだ。

 親なんて立派でなくてもいいんだ。
 もちろん自分のお父さんのようになりたいとか、お母さんみたいな母親になるといった目標が持てれば幸せだけど、そうでなくて『ああいう父親だけにはなりたくない』『ああいう母親は嫌だ』でも方向は決まる――。だけどモデルがいないのは辛かったよね。

 家庭での細々とした親のあり方、やり方って、実際に見ていないと分からないもの」
 すると奈美は泣いて、
「そう言えば母は、私が人を育てることのできる人になってくれてありがたかったって、そんな言い方をします」
 母親の姿を知らない奈美の母親は、娘に対しては女親のモデルでありたいとずっと願っていたのかもしれません。

 続けて私は言います。
「奈美さんは二番目だったよね。上はお姉さんだっけ?」
「いえ、お兄ちゃんです」
「ああ、じゃあやっぱり奈美さんのことだ。
 あなたのお祖母さんに当たる人が亡くなった時、お母さんはまだ3歳だったんだよ。だから奈美さんが3歳になった時、お母さんの言葉をそのまま借りれば、
『母はこんなにかわいい盛りの私を置いて死んだんだと思ったら、もう泣けて、泣けて・・・』
そう言ってその時も、泣いた。
 この話、しなかったっけ?」
「初めてです」

 私はふと、どうしてこの話をしなかったのだろうと思いました。
 15歳ではもちろん、二十歳の時に聞いたってこの話は分からない――当時の私はそう踏んだのかもしれません。やはり人の親になって初めて理解できることだと――。


【私は親の責任を問わない、何とかしろとも言わない】

 あのときに奈美の母親から学んだことは、
「ほとんどの親は子のことを愛していて、きちんとした良い子に育てたいと思っている、そのための努力も惜しまないつもりでいる、しかしどんなに決心が硬くとも、それができない人がいる」
ということです。
 
 奈美の母親はきちんとした普通の女性です。しかし子育てに関しては不安が先に立ち、自信なく、瀬を踏むように手探りでやってきた――。もちろん子育てなんて誰にとっても手探りですが、それを恐怖に近い不安の中でやるのと、面白がってやるのとでは、天と地ほどの違いがあるでしょう。そしてそうした親の思いは、良いにつけ悪いにつけ子に伝わり影響を与えてしまう。

 以来、私は親の責任を言い立てるのをやめました。
 人は、自分自身の育った環境や経験によって、育児に向いている人とそうでない人がいる、親の責任だと言われてその通りだと思っても、うまく果たせない人がいる、努力しても成果の出ない人がいる、どうしたらいいのか分からなくて困っている人がいる――。
 
 だから親の責任を言い立てる前に、教師だったら「こうしてみましょう」「次はこうしましょう」と次々と具体案を出していけなければいけない。間違っても「何とかしてください」と丸投げしてはいけない――。

 テレビの情報番組で、「これは親の責任ですね」とか「親は気がつかなかったのでしょうか」とか「まず親がはっきり言うべきですね」とかいう言葉が出てくるたびに思うのも、そのことです。
 プロだったらこちらが何とかしなくてはいけません。学校で問題が顕在化するような子はたいていの場合、家では打つ手がなくなっているのです。