「何のための旅行かに誤解がある」~修学旅行について②

(原稿はあったのに出すチャンスを失っていましたが、)

 先週の金曜日の「デイ・バイ・デイ」に、修学旅行はまず軍事教練として始まり、すぐに軍事色は衰え、太平洋戦争が近づいて再び軍事色が強まるまで今日と大差のない旅行として続いた、と書きました。なぜそんなに鮮やかに変換できたのかというと、それには背景があったのです。江戸時代のお伊勢参りです。

 江戸から明治にかけて、山間では大正・昭和になっても、人は生まれた土地に生き続け、そこを出ることなく生涯を終えました。それが普通でした。旅行というものは命を懸けて行うものであって、人は村を出ることはなかったのです。一部の人だけがお伊勢参りにかこつけて生涯一度の旅行にでたのです。

 修学旅行が意外と早く定着し全国に広がったのは、生涯同じ場所に生きる子どもたちを一度は外に出してやりたいという教師や親の願いと、広い世界を一回は見てみたいという児童生徒の気持ちが一致したからです。太平洋戦争で一時は中断するものの、学校が再開されるとほどなく修学旅行も復活します。それは昭和22年、23年といった非常に早い段階のことです(そのためにアルバイトをして貯金する様子は、無着成恭の「山びこ学校」にも生き生きと描かれています)。

 時代は進んで現代。もはや村を離れての旅行は生涯一度のことではなくなりました。子どもたちも修学旅行を待つまでもなく、繰り返し旅行に連れて行ってもらっています。そんな子どもたちを改めて旅行に連れて行く意味は何なのでしょう。

 言うまでもなく、ひとつには社会見学の意味があります。親たちが繰り返し旅行に連れて行ってくれるとはいえ、国会議事堂の見学をさせたり奈良・京都の古寺名刹を引き回したり、あるいは好んで原爆ドームに連れて行ってくれる親はそうはありません。ですから保護者が連れて行ってくれそうにない、しかし日本人として学んでおく必要のある場所に連れて行くのは今日でも意味あることです。
 もうひとつは(軍事教練的修学旅行の時代にも一部はそういう意味だったと思うのですが)、“集団生活を外部で試すための旅行”という意味です。学校で培ってきたものが、校外の遠く離れた場所でも十分に生かされるかどうか、実際に試してみるということです。学級係とは違う係分担をし、行程表をチェックし、行動祭案をつくるなかでそれぞれの行動を確認する、修学旅行はその意味では人間関係の学び、つまり道徳のチェックの場なのです。

 私はいつも思うのですが、学校のこうした機能をなぜ世間は理解しようとしないのでしょう。学校教育から道徳が消えただの道徳教育が不十分だのと平気で言う人たちは、道徳を何だと考えているのでしょう。机に向かって「偉い人のお話」を聞いていても、人間は活動に結び付けることなどできないのです。

 今回の修学旅行はとても素晴らしいものでした。それは一人ひとりが自分の役割を果たしながら全体の調和を取るという、それこそまさに道徳の核心を実現しようとしていたからです。私はそのことを強く主張したいと思います。