カイト・カフェ

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「71年目の夏に戦争について考える」④

  考えると第二次世界大戦後の昭和は幸福な時代でした。
 世界は米ソ二極化の時代で、ある意味わかりやすい配置でした。あっちかこっちかという振り分けだけでたいがいが済みます。

 中国は第三世界(米ソどちらからも距離を置く国々)の長として世界に面倒な発言をしたりしていましたが、基本的には多すぎる人口に苦労する貧乏国でした。
 北朝鮮は一時は「地上の楽園」「実存するシャングリラ」みたいな言われ方をしていましたが、実に無害な、目立たない国と言った印象です。時には韓国にゲリラ部隊を送り込んだり大韓航空機に爆弾を仕掛けたりと言ったこともしましたが、直接日本に害を及ぼすということはないと信じられていました(拉致事件が問題となったのは昭和も最終盤のことです)。
 韓国は朴正熙大統領の時代はまだまだ励ましてやるべき国でした。
 ソ連は――日清戦争以来一貫して仮想敵国だったこの国は、確かに危険な国家でしたが問題は国の西側、南側に集中していて、東アジアはそれほど危険な情勢はありませんでした。少なくとも、ある日突然北海道に上陸して占領するかもしれないと本気で考える人はいなかったのです。

 日本が戦争に加わる唯一の可能性は、アメリカの戦争にアメリカの事情から引きずり込まれることで、だからこそ「戦争に巻き込まれるな」が政治スローガンとして意味を持ちました。その程度です。日本が先頭に立って戦争を仕掛けるとか、外国が直接的に襲い掛かってくるとかはまったく考えずに済んだのです。
 したがって当時の平和教育には、
「できるだけ外国の戦争に関わらないようにする」
「日本を戦争のできない国にしておく」
 それだけでよいという側面がありました。それだけに憲法9条の改正などはとんでもないことだったのです。

 しかし今日、中国の武装漁民が大挙して尖閣諸島に上陸するとか、意図的にしろ事故にしろ北朝鮮のミサイルが数百m足を伸ばして秋田・山形付近に打ち込まれるとかいったことは、まったく荒唐無稽な話とは言えなくなっています。ロシアは今のところ東アジアに野心を持っているようには見えませんが、それだって現在だけのことなのかもしれません。

 そうした状況に呼応して、憲法改正に関するアンケートでは改憲派護憲派がほぼ拮抗するまでになってきました。昭和の時代にはまったく考えられなかったことです。

 さてそこで、です。

 私は昭和の人間ですから「日本も再軍備すべきだ」とか「核武装すべきだ」とかは言いません。特に核武装については、するにしてもそれが(米ロ中英仏、インド・パキスタン北朝鮮、そしてもしかしたらイスラエルに次ぐ)世界の核保有の9番目だとか10番目だとかいったことは絶対になく、核不拡散の理念がボロボロになってISのような組織まで核が広がって初めて日本の番が来るはずですからまったく望ましくない、あってはならないことだと考えています。
 しかし先に例に挙げたような「中国の武装漁民が大挙して尖閣諸島に上陸するとか、意図的にしろ事故にしろ北朝鮮のミサイルが数百m足を伸ばして秋田・山形付近に打ち込まれるとかいったこと」が起ったときにどうするのか、政府の対応の何が許せて何が許せないかくらいは考えておく必要があるはずです。その時になって初めて考えるようでは判断を誤るからです。

 特に教員は自分の立場を固めておかないと、思わぬ方向へ子どもたちを導いてしまいかねません。
 教師は厳しく政治的中立性を求められています。すべての人々からそうあるべきだと思われていますが実はそれぞれ、右派は右派、左派は差はなりに、自分に近い方の「中立」であるべきだと考えているにすぎないのです。
 結局私たちは、自分で考え、自分で判断して自分の立場を築かなくてはなりません。こうした状況に対して自分はどう考えるか、ああいった情勢について子どもにどう語るのか――。

 平成の教員には昭和にない難しい対応が求められています。