金八先生の亡霊

 最近、急に思い出して「そう言えば、さすがに聞かなくなったな」と思う言葉に「金八先生」があります。思えば10年くらい前まで、金八先生の幻はことあるごとに現れて、「なぜウチの担任は金八先生のようでないのか」といった恨み節があちこちから聞こえていたのです。その最たる経験は私自身です。20年近く前、小学校で保護者と対立したときに、こんなふうに怒鳴られたことがあります。

「SuperT先生は『金八先生』を見たことがありますか? ないでしょ? 見ていたら教師がどうあるべきかなんてすぐに分かるはずです。あれはテレビの中の話だと思うかもしれませんけど、武田鉄矢さんは教育大学を出ていて、アドリブでしゃべっていることもたくさんあるんですよ。なんで金八先生がアレだけできると言うに、SuperT先生はできないんですか?」

 最悪でした。

 不幸にして最も評判になった「3年B組金八先生」の第1・第2シリーズ(1979〜1981)当時、私は夜の仕事をしていたために(と言っても学習塾の会社ですが)テレビを見ることができませんでした。第3シリーズ(1988〜1989)の頃には教員になっていましたが、毎日遅くまで学校にいてこれも見逃し、そのあと前述の事件(「金八先生を見たことがありますか事件」)があって結局、見ることができたのは第4シリーズ(1995〜1996)からです。事件から2〜3年後のことです。

 そしてそれ以降(俳優・武田鉄矢は別として)坂本金八は不倶戴天の敵、親の敵となりました。あんなもののために何年も嫌な思いをさせられてきたかと思うとほんとうに腹が立ち、第4シリーズについても数回を見ただけでやめてしまいました。学校をなめ切っています。

 坂本金八が優秀かどうかは別にして(これもそうとう問題があると思いますが)、とにかく出てくる生徒が優秀です。不良であろうと鼻持ちならないエリートであろうと不登校の子であろうと、

�@とにかく自分の心の中にある問題を的確に掴み、それを言語として表現できる。

�A相手の言うことが正しいと思えば素直に反省できる。

�Bそして何よりも、その反省を生かすことができる。

そういうスーパースペシャルの生徒たちなのです。

 私たちのもっている子どもたちはそうではありません。最初の段階で躓きます。

�@まず自分の問題を表現することができない(はっきり表現された悩みなんて悩みではありません。はっきりしないから「悩む」といいます。表現できるなら問題の半分以上は終わっています)。

�A素直な非行少年、素直な問題児というのは、そもそも形容矛盾のようなものです。素直になれないから問題が長引き、お互いに苦労するのです。そして、

�B反省を生かすことができない(それが人間です。「分かっちゃいるけど、止められない」のです。大人である私だって反省を生かすことができず、しょっちゅう苦労しています。締め切りが間に合わない、酒、飲みすぎた等々)。

 

 さすがに今頃になって「金八先生」を持ち出す人はいません。しかしその亡霊は確実に生きていて、すべての人たちの頭の隅に「理想の教師」として残っています。そしてその亡霊との比較で現実の教員が叩かれることも少なくないのです。

 私は正直、もう一度「金八ブーム」がやってくればいいと思っています。「見てますか事件」以後も繰り返し金八先生は持ち出されましたが、私はその都度涼しい顔で言ったものです。

「そうですねェ、金八先生も優秀ですが、とにかくドラマは生徒が優秀ですからァ。あんなのがクラスに何人もいたら私も楽ができるんですけどねェ〜」