「教員不祥事の憂鬱」c

 丸々一週間、北海道の置き去り事件のことを考えていてあいだが開いてしまいましたが、知り合いの若い教諭が盗撮事件を起こしたという話の続きです。事件を起こした瞬間、その教諭の判断力が極端に衰えていたのではないかというお話しをして中絶したままになりました。

 この“不祥事を起こすとき、ひとは極端に判断力が衰えていたのではないか”という仮説は、私の知っている校長先生が、定年退職直前に万引き事件を起こすという衝撃的な出来事に際して考えたものです。しかも普通の校長先生ではありません。極めて優秀で近隣に名のとどろいたエリートのような人です。

 そのままおとなしく暮らしているだけでも教員の中では最高に近い給与とボーナスが保証され、退職金だって(世間が思っているよりはるかに少ないとはいえ)相当な額になる人です。さらに、これまで積んできた業績・評判・人間関係、家族や友だち、地域の人々との関係――それらすべてと引き換えにしたのは、わずか二千円余りの食品と電器小物でした。これは誰が考えても合わない。

 このアンバランスを説明する方法はふたつしかありません。

 ひとつは「彼は元々そういう人間だった」というもの、もうひとつは「何らかの魔法ないしは病気に罹っていた」という考えです。

 前者だったとしたら、そんな人間が30数年にわたって教職にあり、校長にまでなったその学校組織・人事制度にこそメスを入れなくてはなりません。犯罪傾向のある人間が炙り出せない、不審の声が上層部に届かない、人事に反映しない――そうしたスカスカの仕組みを調査し修復しなくてはなりません。

 しかしもし後者だった場合は、彼を犯罪に追い込んだ魔法ないしは病気の正体を探り対策を打たなくてはならないのです。いずれにしろ事件はさらに深く掘り下げ、分析される必要がありました。

 それまでも重大な教員不祥事のたびに私は「なぜ彼らはそれができたのか」を考えていました。しかしほとんどの事件は私の手の届くところになかったために、疑問は疑問のまま放置されていたのです。

 今回は同じ市内で、仲間として一緒にやってきた人間です。私もまた積極的に発言できる立場にいました。

 そこで幾度となく手を上げ、とにかく調べてくれ、いったい何があったのか、なぜそうなったのか明らかにしてくれと言い続けたのですが、しかし市教委も校長会もそうした方向では動きませんでした。管理職でも教員は忙しいのです。年がら年中様々な仕事を引きずっていて、非日常的な喫緊の問題が飛び込んでくるとその場その時をしのぐのに精一杯なのです。

 具体的には、校長の不祥事ですから当該の学校の今後をどうするのか、副校長で代行できるものは任せるにしてもそうでないものはどうするのか、当該校の職員や児童生徒にいつ誰がどういう形で話すのか、保護者への説明はどうするのか、そうした大量の仕事がありました。しかも短時間で達成しなくてはなりません。

 一方、当該校以外のすべての学校でも先生たちにきちんとした説明をしなくてはなりません。これまで綱紀粛正を強く求めてきた側ですから、私たち自身の反省も含め、誠実に話す必要があったのです。それをどうするのか――。

 時は刻々と過ぎていきます。やらなければならないことはたくさんありました。私でさえそうだったのですから、事件の直接の担当者たちの忙しさは容易に想像がつきます。

 したがって私も黙って引き下がり、「なぜ彼らはそれができたのか」という謎は今回も解明されずに終わってしまったのです。

                                 (この稿、続く)