「Always 3丁目の夕日」を映画館で見ている最中のことです。舞台は昭和33年ですが、ようやくテレビを買うまでに豊かになった自動車修理屋の主人が、感極まって言う、「戦争が終わって13年」という台詞に椅子から転げ落ちるほどのショックを受けました。私が生まれたのは、まだ戦争の傷の残る時代だったのだという驚きです。
時間というものはそれに乗っている当事者にとっては長いものですが、振り返ってみるとほんとうに短いものです。今、若い、若いといわれる先生たちも「日韓共催ワールドカップをリアル・タイムで見た」というと驚かれる時代が来ます。すぐに来ます。
さて、そういった振り返りの目で見ると、最近の学校問題だと思われていた不登校の歴史も、ずいぶん長くなりました。私が最初の不登校児(当時は登校拒否児といった)に会ったのは1978年のことです。新聞やテレビで騒がれ始めた不登校児と現実に出会った驚きに確かな記憶がありますから、不登校がマスコミの俎上に上がったのはそれより2〜3年前、つまり1975年くらいのことだったと思います。この1975年という年は記憶に値する年です。
1975年、初めて高校進学率が90%を越えます。希望すればほぼ全員が進学できるようになったのです。同じ75年、カラーテレビと電気掃除機の普及率が90%を越えます。5年前の70年に90%を越えていた電気洗濯機・電気冷蔵庫と合わせて、基本的な電化製品がほぼすべての家庭に行き渡ったことになります。
戦後経済は2段の階段を下ったことで知られていますが、1974年のオイルショックを克服した75年の経済成長率3・8%はその後15年に渡って横ばいのままです。それまで10%前後で推移していたことを考えるとたいへんな低成長時代になったのです(ところが91年にまた一段下がって平均0・8%の超低成長の時代が続きます。いわゆる平成不況です)。
70〜75年は豊かさのピークにあったときです。それを越えたところから不登校が出てきたのはいかにも象徴的です。そしてそれから35年がたちました。
ところで1975年から逆に35年遡るとどうなるかというと、もう太平洋戦争直前まで行ってしまいます。それどころか15年遡っただけでも、私たちの知るのとはまったく別な世界があります。たとえば昭和26年(1951年)発行の「山びこ学校」を読むと、貧しさのために学校にも通わせてもらえず、過重労働にさらされる何人もの子どもの姿が出てきます。学校に行けるのが幸せで仕方なかったのです。
私の先輩の一人はこの翌年の生まれですが、彼が小学生だった昭和30年代(1955〜65年)のころですら、出身の〇〇村では土葬が行われていて、墓場を歩くと時おり地下で腐った棺桶のふたが崩れ落とし穴のようにはまったといいます。食卓はまだ板の間で、箱膳で食事をしていました。戦前と同じような暮らしをしていたのです。
それから10年ほどで経済の頂点を極め、世の中の風景が今とあまり変わりないものとなり、子どもたちが働かない時代がきました。学校に行きたくて仕方ない時代が終わって行きたくない子どもたちが出現します。
年寄りたちの言う「昔の教育はよかった」「昔の先生はこうではなかった」の『昔』は1975年までの30年程度のことです。「今の教育は」「今の先生は」の『今』は、ここ35年間のことです。そう考えると昔を懐かしむのではなく、そろそろ『今』の教育のあり方を本気で考え、生み出さなければならないことがわかってくるのです。