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「専門家の裏切りと新しい観点」~不登校の歴史③

 不登校は誰にでも起こる(したがって児童生徒の個別性には関わりない)とした「登校拒否問題への対応について」(いわゆる平成4年報告)は当時の文部省が世論に押され、科学的根拠もないままに出したものです。しかたがって不登校は減るどころか増える一方で、21世紀に入った2001年(平成13)には13万人を越え14万人近くにまで達してしまいました。そこで慌てた文部省は2002年に不登校問題に関する調査研究協力者会議を開き、翌2003年(平成15)、「今後の不登校への対応の在り方について(報告)」(以下平成15年報告と略します)を発表します。

 この時文部省は文部科学省と名を変えていますが、平成4年報告の非を認めず、こんなふうに表現しました。
不登校については、平成4年3月の「学校不適応対策調査研究協力者会議」の報告「登校拒否(不登校)問題について」(以下、「平成4年報告」という。) があるが、この報告における不登校に対応する上での基本的な視点や取組の充実のための提言自体は、今でも変わらぬ妥当性を持つものである。』
 つまり平成4年報告は間違っていないと、とりあえず宣言します。その上で、
『しかしながら、不登校児童生徒数は、現在、調査開始以来最多となっており、この提言が、関係者の間において正しく理解され十分に実践されているのか、 また、時代の変化とともに、新たに付加すべき点がないかを今一度検証し、実行に移すための方策を検討することが急務だという基本的な認識に立ち、本協力者 会議は検討を行った。』

 つまり、不登校の増加は関係者(=教員)の間において平成4年報告が正しく理解され十分に実践されなかったことに半分の責任がある(後の半分は時代的変化)、と断じたのです。

 ちょうどそのころから、不登校の研修会などでも私たちにこんな指導が始められました。
不登校について登校刺激を与えてはいけないという言い方がありますが、この点について先生方は勘違いしておられます。不登校の初期の段階では、きちんと刺激を与えなければならない場合がずいぶんとあるのです」
 私はこの時からカウンセラーを初めとする心理の専門家を信じなくなっています。不登校の初期の段階では適切な登校刺激を与え続けなければならないというのは、まさに私たちが必死に主張したことだったからです(それを邪魔したのが心理の専門家たちです)。

 平成15年報告の最初の数行で怒ってしまった私は、後半をほとんど読まずに済ませてしまいました。しかしそのことを今は後悔しています。実に良いことが書いてあるからです(やはり怒ると損ですね)。

 特に不登校の要因を多面的に捉えていること、「登校拒否は病気じゃない」といったふうにひと括りにするのではなく、不登校の中には病気の子もいる、障害を持つ子もいる、さしたる問題のない子もいる、元気よくしかし学校にこない子もいると、その多様性をしっかりと指摘していること。特に発達障害や虐待と不登校の関係について強く指摘していることなどが良い点です。

 私は昨年(2010年)になって初めて、「不登校児童生徒の中には発達障害の二次障害としての不登校が三分の一はいる」という話を聞きました。本校のカウンセラーの大島先生は「半分くらいは」とおっしゃいます。

 2010年代に至ってようやく、不登校児童生徒にもさまざまな子がいる、登校刺激をどんどん与えていい子もいれば絶対に控えなければならない子がいる、同じやり方が通用する子もあれば悪影響にしかならない子もいるという、ごくごく当たり前のことをみんなで共有できる時代が来たと言えます。その意味では不登校指導元年ともいえる時代に、ようやくたどり着いたのです。