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「私が詐欺師だったころ」2〜マイ・レジューム⑤

 そもそも学習塾が成り立つかどうかといったリサーチもせずに、ただやりたいという人がいるというだけの理由で教室を開くのですからあまりにも無謀です。
 本当はもっとまじめな経営もできたのかもしれません。会社の収入は最初の百万円とフランチャイズ料を除けばあとは教材費だけです。これがけっこういい収入になりますから本気で生徒の集まる場所を探し、オーナーと真剣に取り組めば十分な収益も確保できたはずです。

 オーナーになる人も、何の知識もない世界に踏み込むからには研究が必要でした。近所の塾が儲かっていそうだからウチもやろうと考えるようでは浅はかです。その塾で満足している子は“ウチ”に来てくれないのですから。
 中には新築住宅の一階に教室を開き塾の収入でローンを返そうと考える人もいましたが、そんな人は必ず泥沼にはまりました。

 一度、最初の募集で生徒が250人も集まった教室があります。部屋がひとつでは足りないので一階の三室をすべて教室にして、オーナー家族には2階に上がってもらうことまでしたのですが、わずか半年後には生徒数20人足らずの普通の教室になってしまいました。

 講師の質が問題でした。アルバイトの相場が時給400円程度の時期に講師の時給は600円ほどでしたから人材が集まりそうなものですが、一日の勤務時間は最大4時間、フルで働いても月に9万円程度にしかなりません。ですからプロの塾講師など招きようがないのです。
 学生を中心に司法浪人や演劇関係者、作家志望だの画家の卵だのといった有象無象ばかりですから大した授業などできません。受験熱の高い地域では子ども入塾させても、「ここダメだワ」と感じると入会金の1万円など惜しげなく捨てて、他に移ってしまいます。

 もちろん中には成功している教室もあります。そのほとんどは立地条件に恵まれるとともに、オーナーが年金生活者だったりして暇で、運営に直接かかわっている場合です。
 金と場所だけを提供すれば自動的に儲かるなどという話は、眉唾なのです。

 こうして2年もたつと、初期に開設した教室は赤字に耐えきれずに次々と閉鎖していきます。営業部は相変わらず新規開設で次から続々と教室を増やしていきますが、同じペースで古い教室が潰れていき、生き残っている教室も経営不振でフランチャイズ料の減額を求めてきたりしますから会社の業績も傾きます。そして教材費も入らずフランチャイズ料も減額せざるを得ず、主たる収入は教室開設の際にオーナーが差し出す100万円だけ、という時期がやってきます。そのあたりから本格にモラルが崩壊し始めます。

 まず始めたのは同じ地区に二つ目の教室を開くという不義です。
 実は起業の最初から、チラシを配るとひとつの地域から二人も三人もオーナー希望者の出るという場合がありました。それでも初めのうちは一人を残して二人はお断りするといった誠実な対応をしていたのですが、貧すれば貪する――振り切った2名200万円が惜しくなります。
 そこでどうするかというと違った社名、異なる教室名で同じ趣旨のチラシを同じ地域に配るのです。すると一度お断りした家がまんまと引っかかってきます。同業他社だと勘違いするからです。こちらも別のスタッフを送り込みます。

 かくして同一地域に競合する二つの同じ学習塾ができてしまいます。一教室でも難しいことを二教室で分け合うわけですから、共倒れは必至です。すると性懲りもなく三つめの会社名と教室名を使って新たなチラシを配ります。これが詐欺罪に当たるかどうかは分かりませんが、倫理的には明らかに詐欺です。
 私は教務部の人間で、教材を作ったり講師を派遣したり、時には休んだ講師の代講に行ったりというのが主たる仕事でしたが、営業の行っていることもだんだん見えてきました。
                                  (この稿、続く)