カイト・カフェ

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「プロとの違い」~講演会の講師をしてうまくいかなかった話②

 研修会の講師をやったのだけれど、結局うまく行かなかったというお話を書いています。

 私もこれまで何十回となく様々な講演会を聞いてきましたが、眠くなる話のいくつかは明らかに情報過多が原因です。重要な話がいくつも出てくるのですが、多すぎて聴衆がついていけないのです。
 そこで私のように極端に話題を絞り、数本の柱を立ててその枠を越えないように話そうという配慮も生まれるのですが、数本の柱だけで90分、持つわけはありません。必然的に枝葉をつけ、形を整え、花を咲かせ・・・となっていくのですが、おそらくそこがうまく行かなかった。内容を絞っても装飾過剰だと、結局何が語られたのかわからなくなるのです。
「面白かったけど何も残っていない」というのは、そんなふうにして生まれた状況なのかもしれません。

 ところで、長い長い話であるにもかかわらず、いつまでも倦むことなく聞いていられる言葉の世界があります。浪曲や講談、落語といった話芸です。そこには「間(ま)」や「テンポ」や「流れ」といった様々な工夫があるはずですが、プロはそれをどんなふうに作り上げているのでしょう?

 先日、「日本の話芸」(Eテレ 毎週日曜 午後2時 | 再放送 毎週月曜 午後3時 / 総合 再放送 毎週土曜 午前4時30分)という番組で(今話題の)桂文枝師匠が「別れは突然に・・・」という落語をやっていました。かなり面白い新作落語ですが、文枝師匠はこの話を10年にわたって少しずつ変えながら、今も毎回練り上げ作り上げているそうです。
 時代が変われば客も変わる、その時代時代に合わせて改編しているうちにいつか話は話芸の高みへと向かっていく、そんな説明が付け加えられていました。

 そう言えば私が聞いた講演の中でもっとも心に落ちたものは、講師自らが、
「今日の話、昨日、近隣の〇〇市でやったものとまったく同じですが、もしかして、昨日も私のところにいらした方、居られます?」
とか聞いていました。
 そうなのです。人気の講師たちはいつもほぼ同じ話をあちこちでしている、そしてそれが誠実な講師なら、常に繰り返し発展させているのです。だから面白いのです。
 私のようなど素人がぽっと来て「うまく行かなかった」と傷ついてそのまま消えてしまうのとはわけが違います。

 しかし、・・・と私は思い直します。
 そうなると、あの、のちに某都道府県知事をやって汚職で辞任したA氏や、外国に住む日本人女性を描いてベストセラーとなったB女史、そして超有名な書家のC氏、あの人たちの話はまったくつまらないものでしたが、あれは何だったのでしょう?