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「中途半端でだらしない親子の物語」~タレント清水良太郎の訃報を聞いて⑤

家族内の人間関係はもともとだらしないものだ。
だとしたら歯止めは丁寧に、細かく、
常にかけていなければならない。
しかしあの家は、何かが違っていた。(写真:フォトAC)

【生活人としては何もできない人】

 2014年、清水アキラさんは故郷の長野への移住を考えます。しかし東京生まれ、東京育ちの妻は田舎暮らしにつき合おうとしません。そこで“卒婚”を宣言し、新宿区にあった8LDKという豪邸を処分して、ひとりで長野に移ります。ところが1年もたたずして“卒婚”を卒業するのです。最初は面白がって釣りやバーベキューにつき合ってくれた友だちも、次第に家庭に戻って日常が始まると、アキラさんの生活能力の低さが明らかになります。

 洗濯機が使えない、食事の片付けも、皿を一枚一枚洗剤で洗ってその都度水で流すといった手際の悪さで進まない。話し相手のいない生活に耐えられない――。結局、大量の洗濯物を持って東京・長野間を行き来するうちに、もとの生活に戻ってしまいます。
 ここで注目すべきは2点。ひとつはアキラさんがいかに家庭生活を知らなかったか、家庭人として何もしてこなかったかという点。もうひとつは新宿区の豪邸を処分した後も、帰るべき家を持っていたということです。私は妻のためのマンション、くらいに思っていたのですが、実は都内の一等地に3軒の家を同時に建て、次男、三男(良太郎さん)、妻の三つの家族をそれぞれ住まわせていたようなのです。2014年に建てた、自家用車8台が同時に置ける、まさに豪邸です。

【物理的なタガがあって離れられない】

 3年後の2017年に覚せい剤事件が起こり、親が保釈金を出さないことで決裂したはずの親子関係が切れなかった原因の一つがここにあります。2023年にYouTubeのインタビューを受けた際も、良太郎さんは「今も父とは仲が良くなくて、半年くらい口をきいていない」「今(偶然)会ったら絞めると思います」と言いながら、親の近くから離れられないのは、やはりその家があるからに違いありません。
 「親を締める」「半年も口をきかない」関係でありながら、子は「だったらこんな家から出ていてやる」とは言わない。親も「俺が買った土地に俺の金で買った家だ。俺が気に入らないなら出ていけ」と言って追い出すこともしない。

【2022年の和解】

 話は前後しますが、YouTubeのインタビューの前年(2022年)、運送の仕事に行き詰まった良太郎さんは、自殺を仄めかして家を出ます。死に場所を求めてさまよううちに川崎駅前で、ある光景に出会います。路上ライブです。ゆずを歌っていたみたいです。そこで閃きます。
「自分がやるべきはこれだ!」
 すぐに近くのカラオケ店に飛び込むと、興奮して酒を煽って歌い、家族には「今、カラオケにいるからもう大丈夫」と連絡して、あとは電話を遮断してさらに踊り狂い、ようやく落ち着いて返ろうとしたら、入り口にパジャマ姿で髪もボサボサの父親が立っていたというのです。息子の自殺を心配したアキラさんが、送られてきたカラオケ店の写真から場所を特定して、駆けつけてきたのです。息子が狂ったように歌っている最中、父親も狂ったように不安で川崎まで走ってきたのでしょう。
 帰り道、新たに見つかった路上ライブという目標に向けて、ふたりは興奮して語り続けたそうです。父親は「いいじゃん、いいじゃん。ゆっくりやっていけばいいんだ」と言い、手持ちのギターを使うことを提案したり、路上ライブで使うアンプの心配をしたりしたそうです。

【幼い親子のとりとめのない会話】

 ちょっと聞いたところでは胸の熱くなるような父子物語ですが、今考えると、そしてこれが68歳と33歳の親子の話だと考えると、別の意味で胸の熱くなる話です。33歳は死んでいい年齢ではありません(実際には自殺者の多い年代ですが)。妻も幼い子もいます。
 自殺するにしてもいい年をした大人が、それを仄めかして家を出るというのは甘えたやり方です。「路上ライブに活路を見出す」というのも30代にふさわしい知恵ではありませんし、「いいじゃん、いいじゃん」は70歳に手の届く人の使う言葉ではないでしょう。

 そのわずか一年後、子が「半年くらい口をきいていない」「今、会ったら絞めると思います」というまでにこじれたのは、アキラさんが良太郎さんの仕事に中途半端に口をはさんだためだったようです。アキラさんからすれば自分の得意分野で息子を助けようと思ったのでしょうが、YouTubeの編集に口を出して、夜中に良太郎さんの仲間を呼び出したことで、息子の方から絶縁状を叩きつけた感じです。
 ただし、今年6月には、親子で仲良くジョイントライブも開いています。

【だらしないのが家族】

 何とだらしない親子でしょう。喧嘩したら仲直りなんかしなくていいのです。逆に。仲直りする気があるなら喧嘩などすべきではありません。それが大人の才覚というものです。それなのにこの清水父子はあまりにも甘い。深く考えもせずに相手を突っぱね、また手を差し伸べる。人間関係のメリハリもない――。
 しかし、ただし、と、私は思い直すのです。それが親子じゃないか、家族じゃないか、だらしなくて当たり前じゃないか。厳しくしたり甘くしたり、相手のために尽くしたり手を引いたり、けれど何があっても最後は助け合う、それでいいじゃないか、ということです。

 ただし清水親子は、特に父親の清水アキラさんは、その厳しさと甘さの使い方を間違った――ただそれだけのことなのかもしれないのです。子どもをどう扱ったらいいのか、勉強をしてこなかった。そしてそんな父親に、適切なアドバイスをしてくれる人もいなかったのではないか。

 良太郎さんの死に対して、アキラさんは一枚の声明文を発表しています*1
 その最後の行は、こうでした。
「元気が一番の親孝行と思っておりましたが無念でなりません。良太郎の分まで長生きしようと思っております」
 やはり何か違っていますよね。だれか止めてあげられなかったのでしょうか。
(この稿、終了)