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「寒中見舞いに『昨年、妻が永眠しました』とあって――」~妻に先立たれるのも悪くないと思った話

 30年近くも年賀状だけで付き合ってきた人から、
 年賀状ではなく、寒中見舞いをもらった。
 「昨年、妻が永眠しました」とあった。少しうろたえて、
 それから、妻に先立たれるのも悪くないと思って返事を書いた、
という話。(写真:フォトAC)

【10日に届いた寒中見舞い】

 まだ出した年賀状が戻り切らない1月10日、早くも最初の寒中見舞いをいただきました。これまで30年近く、年賀状だけでおつき合いをして来たNさんという方からです。
 その昔、私が大病をした際*1に知り合った人で、10歳ほど年上。やはり死に至る病で、医師からは半年以内に車椅子の生活に入り、余命は2~3年と言われていました。それなのに以来28年。
 毎年、生存確認のようにやり取りする年賀状は、大した内容ではないのに、互いにほっとして励まし合うような雰囲気がありました。それが今年は来なかった――。
 歳も歳ですし、いったんは大きな病気を持った身体です。何かあっても不思議はありませんし80歳を越えれば男性としては長生きです。お互いよく生きたと称えあえる年齢ですから苦にしないでおこう、もっとも今年は年賀状じまいだらけですから、そういうことかもしれないと、そんなふうに思っていました。そのNさん本人から、早々の寒中見舞いが届いたのです。
 
 寒中お見舞い申し上げます
 ご丁寧なお年始状を頂き誠にありがとうございました
 妻 ◯◯が昨年の◯月◯日に75歳にて永眠いたしました
 少し早かったです 
 生前に賜りましたご厚情に心から感謝を申し上げ
 年頭のご挨拶に代えさせて頂きます
 本年も変わらぬご厚誼をお願い申し上げます
    令和7年1月    
  
 差出人はNさんと二人のお子さんの連名です。
 思うところがあって、返事を出そうと考えました。そして書くには書いたものの、出そうか出すまいか迷っています。30年近い年月を置くと、互いに対する思いや、ものの見方感じ方に、同一の基盤があるかどうか疑わしくなってきたからです。
 どうしましょう。

【N様】

 わざわざご丁寧な寒中見舞いをいただき、感謝申し上げます。

 いつもは元旦に届くNさんの年賀状が今年はなく、年賀状じまいの流行る昨今、そしてお互いの年齢を考えるとさまざまに心配、気がかりだったのですが、まさか奥様の喪中とは思いませんでした。私の周辺でも喪中はがきの中身が祖父母両親から兄弟姉妹へと移り、最近では本人や配偶者ということも多くなっています。ただ、Nさんが奥様を亡くされたということについては、私にも特別な感慨があり、一筆、認めようという気になったものです。

 思えばNさんに初めてお会いした日から30年近く、余命わずかと思ったあのころのことを考えると、私たちもほんとうに長生きしたものです。特にNさんは半年以内に車椅子、2~3年の命(そんなふうに記憶しています)と医師から宣告されておられた身ですから、まさに奇跡が起こったのかもしれません。いつぞやテレビニュースでNさんの村の夏祭りが紹介された折り、そこにお姿を拝見して我がことのように喜んだことを思い出します。
 私も、5年生存率17%の病でしたから、今のこの齢まで生きるのは望外のことでした。おかげで当時7歳だった娘と4歳だった息子は、ふたりとも成人して結婚し、娘はもはや2児の母です。
 ここまでくるとあとは夫婦二人の生活ですが、私のところは妻がまだ落ち着かず、勤めに出ていますので水入らずは当分さきのことかと思っています。Nさんは自営ですからお二人の時間はずっと長かったのでしょうね。濃密な、暖かな時間がたっぷりあったと、そんなふうに想像します。
 しかしそれにしても75歳は早い。女性の平均寿命を考えると、もうしばらくはそのままの生活が続いて当たり前だったはずです。いただいた寒中見舞いの中にあった、
「少し早かったです」
の一文に、Nさんとご家族の無念さが感じられました。

 ただ、私はふと思うのです。
 私たちは二人とも、四半世紀前に家族を置き去りにしかけたのです。あのとき私たちが死んでいたら、妻も子も、ほんとうに大変な日々を送ることになっていたでしょう。我が家では息子に難しい時期があり、父親でなければできないことがたくさんありました。娘の結婚式でバージンロードを一緒に歩いてやるだけでも、父親は必要だったはずです。それをしないで天国に行きかけたのですから、やはり罪深い。
 実際には生き残って夫として、父親としての務めは果たしたのですが、もしかしたら奥様は、短い人生で2度も置き去りにされるのは敵わないと思ったのかもしれません。あんな苦しい思いをもう一度繰り返して、夫を見送るなんて真っ平だと、そんなふうに思ったのかもしれないと思うのです。立場が逆だったら、私はそう考えます。
 75歳は若すぎますが、配偶者を二度見送る覚悟をするよりはずっとまし、そう思ったのかもしれません。

 私は一度死んだ身ですから死ぬのは怖くないし、仕事も子育ても終了していますからいつ人生が終わってもかまわないのですが、Nさんのお葉書を読ませていただいてふと思ったのは、一度妻に対して不実をしかかったのだから、少しはがんばって長生きをして、今度は私が妻を見送る覚悟をするのも悪くないな、ということです。独りぼっちになって辛い想いをするのは、私の方でいいと、そんなふうに思ったのです。
 Nさんの妻孝行を、私も見習ってみようと思います。寂しいでしょうがせっかく拾った命、お互いもうしばらく頑張ってみましょう。
 年賀状のやりとりも、もうしばらくお願いします。

*1: