子どものころから疑問を放置できない性質だった。
そのくせ人見知りだから誰かに聞けない。
人に聞かないと道に迷う。
そんな私にネットは神の恩寵だったが――
という話。(写真:フォトAC)
【「調べる人」は奮闘する】
昔、エニアグラムという性格診断が流行したとき、娘に誘われて有料の診断を受けたら結果は「調べる人」でした。人格を九つのタイプに分けてどこに当てはまるかを教えてくれるというものですが、他は「挑戦者」だの「個性派」だの、およそ私には当てはまらないものばかりなので、自分でも「調べる人」だろうなと思っていたら「調べる人」だったという、実につまらない結末でした。結局、料金を払った分だけ損でした。
小さなころから疑問に思うこと、分からないことを放置できない性質で、そのくせ人見知りなので誰かに聞くこともできず、したがってどうしても調べる作業が増えて行きます。ただし案内人や助手のいない調査は非効率で、Aという言葉の意味が分からずに辞書を引いたら、その単語の説明にあったBという言葉の意味が分からず、仕方がないのでそのページに付箋を貼ってBを調べに行き、そこでもCという知らない言葉が出て来たので付箋を貼ってまた調べに行き、さらにその先でDが分からなくて――と、そんなふうにやっていたら辞書の上の部分が付箋だらけになり、何がなんだか分からなくなること再三でした。次からは知恵がついて、付箋を貼るたびにその端に番号を書いて順が分かるようにしたのですが、それでも10枚を越えると分からなくなります。
あの時代はそれもなんとかしたのですが、もしコンピュータとネット環境があったら、私はどんなに幸せだったことか――。一日中あれもこれも調べながら暮らしていたに違いありません。もっともそうなると一歩も外に出られなくなり、食事もそこそこに「調査オタク」となって社会から落ちこぼれていた可能性もあります。
【Google先生には訊くことのできないことがある】
30歳を過ぎて初めてコンピュータを購入し、40歳代に入ってインターネットに触れるようになってから、私(調べる人)の調査能力は飛躍的に高まりました。もう本の上に並んだ付箋の森に苦しむこともありません。好きな時に好きなだけ調べることのできるようになったのです。しかも現在とは違って「検索窓にどんな言葉を入れると、より望んだ答えが早く導き出せるか」という技術も競える時代でしたので、「調査オタク」としての自己効力感も満足させられるものでした。最近は検索エンジンの方が優秀になってかなりベタな問いかけにも反応してくれますから、手に入れた技能も色あせてしまいましたが。
ただしGoogle先生には質問しにくい内容もかなりあって、ひとつは「あれのこと、何ていうの」といった名前の分からない「もの」「こと」「ひと」に関する問題です。
「ホラ、あのトイレが詰まったときに使う、棒の先にゴムのカップみたいのがついたあれ、何て言ったっけ」
「昔の武士の家の座敷の、鴨居のところにあって、槍を置くためについている突起物は何というの?」
といった類。人間相手なら実物を見せるか口や文章で事細かに説明して訊けばいいのですが、Google先生ではそうはいきません。結局こうした質問はいつか機会に恵まれて、答えに遭遇する日を待つしかないのです。
前述の2問について言えば、トイレで使う道具は「中村仁著 『あなたのお名前なんてぇの? だれも知らないアノ名前』(竹書房1995年)」という本に出会って解決しました。「通水カップ」というのだそうです。後にネットで「ラバーカップ」とか「吸引カップ」などといった言い方もあることが分かります。後者に槍を置く突起物については、文化財見学会の折りにたまたまあったので講師に聞くと、
「ああ、あの槍を置くやつね、『槍置き』と言います」
(それでいいんかい!)
ちなみに「槍掛け」とも言うのだそうで、なんとも中途半端な名前だ(“やりかけ”だから)と呆れたものです。
こうした訊くに訊けない「アレ、何だっけ問題」も、最近になってようやく解決する方法が見えてきました。生成AIです。
【救世主はウソをつく】
生成AIのChatGPTは「チャット」と称している通り会話形式でやり取りのできるAIです。もちろん、
「あのホラ、トイレが詰まったときに使う、棒の先にゴムのカップみたいのがついたあれのこと、何て言ったっけ」
が通じます。学生だった私が付箋の森と格闘していたころから半世紀を経て、ようやく私のしたかったことのできる時代がやってきたーー分からないこと、知りたいことをどんどん聞いて行けばいい、一度の説明で分からなければ何度でも聞き返せばいい。あいては機械なのだから気分を悪くすることもない。
――ところがこのChatGPT、何を聞いても「知らない」「分からない」「できない」と言わない頑張り屋なので、誠意からだと思うのですが、とにかく何かを答えておく、嘘でも出まかせでもいいから返しておこうとする困った誠実さがあるのです。そこが最悪。
「調べる人」からすれば、《ウソ》より《分からない》の方がよほどいいのです。《分からない》もときに正解のひとつですが、《ウソ》は誤りだからです。
「息をするようにウソをつく」
これが今までさんざんAIの悪口を言ってきた理由です。
【副操縦士(Copilot)と一緒に飛んでみた】
ところがここにきてだいぶ様子が変わってきました。本家ChatGPTとはあいかわらず相性が悪いのですが、GPT4とMicrosoftの検索エンジンBingを組み合わせた生成AIサービスCopilot(意味は副操縦士)とはかなり仲良くできるようになって、先週末はこれを頼りにブログ記事の大半を書きました。それくらい使えるようになってきたということです。
ただし若干の工夫が必要でしたので、明日は実際になにをどうやったのか、紹介していきたいと思います。
(この稿、続く)