常識を知らない教師がいるからと言って、
教師全体が非常識なわけではない。
しかし金銭感覚に狂いのある場合は少なくないかもしれない。
何しろ民間とは全く異なる、雲の上みたいな世界だからだ、
という話。(写真:フォトAC)
【結局、特殊な事例】
ほとんどの教員は小中高大学と進んでそのまま採用試験を受け、つまり学校を出ると同時に学校に入ったため社会経験に乏しく、だから世間を知らず常識に欠ける――そうした型にはまった批判に私は受け入れることができません。
確かに社会性に乏しかったり非常識な人もいますが、教師と呼ばれる人々は全国の幼小中高等学校(およそ5万校)に100万人近くもいますから、そのわずか1%という稀有で異常な教員でも全国に1万人、5校にひとりくらいはいる計算になります。
そこまで異常でないがちょっと変わった程度の教師は、各校に一人ぐらいいても不思議ありません。しかしその程度の変わり者って、どんな社会にも一定の割合でいるものではありませんか?
そうした具体的なひとりひとりを挙げて、
「声をかけても返事もしなかった。だから教師は常識がない」
「いちいち態度が偉そうだった。だから教師は非常識」
「名刺の渡し方を知らない、挨拶の仕方を知らない、お茶の出し方も知らない、基本的なことが全くできていない」
とそんなふうに言うのは、
「家庭訪問の時間を18時以降に設定してほしいなどと平気で言う、だから保護者は非常識」
というのに似ています。この場合「保護者」を「母親」に替えても「父親」にしても、あるいは「女」と変えても日本語としては成立します。しかし内容は正しくないでしょう。日本中の「保護者」「母親」「父親」あるいは女性が、同じ要望を寄せてくるのではありませんから一般化はできないのです。
【教師たちが分かっていないこと】
ただ世の中の大半の人たち、どんなに少なく見積もっても過半数はできていそうなのに、教員という職業にある人たちだけが分かっていないこと、能力として大きく落ち込んでいることが、ひとつあります。おそらくそれが「世間知らず」と言われる所以だと思うのですが、教師には社会的な金銭感覚について、ずいぶん疎いところがあるのです。
民間企業の多くは営利団体ですから最後は金銭のやり取りで一区切りがつきます。納品と支払いが無事に終わればそれでいいのです。何か問題があったりトラブルが発生したりしても、長い商取引の歴史の中でつくられた「双方納得の落としどころ」があって、金銭的なものも含めてその基準に合わせて処理することになります。もちろん商習慣の枠に収まらなければ裁判にするしかありませんが、「ここから先は裁判」という点についてもお互いに納得できる点(「もうこれ以上はダメだね」と言い合える決裂点)が決まっています。
ところが学校にはそれがありません。学校が児童生徒に与えられるのは「学力」や「人間性」といった教育サービスですが、どのくらい与えることができたかは正確に測ることはできないからです。もちろんテストで点数化はできますが同じクラスに100点もいれば50点もいるのです。どこからどこまでが教師の手柄なのか、責任なのか、明確に知るすべはありません。
また児童生徒も保護者も、受け取った教育サービスを吟味し、価値を確認して対価を支払うということをしません。教員の給与も施設の建設費や管理費も自治体の納税者全体で支払うことになっています。
教育サービスのひとつひとつに、例えば「教科指導50分1200円」だとか「生徒指導1時間1500円、時間外割増500円」とかついていれば雰囲気もだいぶ変わると思いますが、教員が職務上でやり取りする金銭は、せいぜいが学年費か給食費くらいのもの。いずれも教員は仲介者であってそこから自身の収入が出てくるわけではありません。ですから金銭感覚は呆れるほどお粗末になっていったりします。
企業や商店への支払いが遅れたり、企業の常識としてはありえないサービスを要求したり、信じられないミスを犯したり――それらは人柄の問題ではなく能力の問題です。民間企業では根幹となる部分が、学校では教師の《雑務》なのです。余技扱いですからさっぱりスキルも上がってきません。
もちろんそれは是正すべきことで、金銭のやり取りについては特に法令順守、説明責任をしっかり果たせるようにしておかなくてはなりません。
先生たちはもっと勉強しましょう。
【――と言いながら、ちょっと甘えたことを付け加えると】
教員の社会的金銭感覚が狂う原因には、学校会計の構造的な問題も関係します。例えば明らかにネットで購入すれば安上がりに済む物品も、地元に同じ商品を扱う企業・商店があれば、そちらを優先しなくてはならないのです。
例えば体育館の水銀灯。1本1万5000円もしたりしますが、ネットで買えば半値ほどで済む場合もあります。しかし普通は地元の商店から1割引きの1万3500円で購入したりします。
学校の購入品ではありませんが、中学生の購入する制服や体操着も、地元の衣料組合が採寸に来て販売するのが一般的です。よく言われることですが、あれも競争入札にしてユニクロにでもやってもらえば、とんでもなく安く仕上がるはずです。しかしできません。
なぜならそれをやると納税者である地元の企業・商店が軒並み倒産してしまうからです。そんなことを地元選出の議員が許すはずがありませんし、納税者が次々と倒産・失業してしまえば地方財政はたちまち破綻し、市町村立の学校は立ち行かなくなります。そんな事情から不本意ながら教師は常に高い買い物を強いられていて、金銭感覚の狂いはそのあたりからも生まれてきます。
もっとも残業手当ももらえないのに過労死ラインを越えてまで働き、土日も出動し、学年費では通らない教室の飾りつけや生花やプランターに平気で自腹を切るあの人たちに、「金銭のことをしっかりしましょう」と言ったところで通じるはずもないのかもしれないのですが――。
(この稿、続く)