カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「教師の働き方改革の行方」① 

 国語・社会・数学などの基本的な具材がきちんと入っていた学校教育という寄せ鍋に、
 総合的な学習やらキャリア教育やら、教員評価・学校評価・教員免許更新などを入れ、
 さらに小学校英語だのプログラミング教育だのをなんとか乗せきったら、
 「教員の働き方改革」という蓋をしなくてはならなくなった。できるのか?

という話。

f:id:kite-cafe:20210412064038j:plain(写真:フォトAC)

【#教師のバトン】

 文科省が先月の末に「#教師のバトン・プロジェクト」を始めてボロクソに叩かれています。その顛末は2021.04.08 NHK NEWSWEB「“教師のバトン” 想定超える悲痛な声」に詳しいのですが、要するに、
「本プロジェクトは、学校での働き方改革による職場環境の改善やICTの効果的な活用、新しい教育実践など、学校現場で進行中の様々な改革事例やエピソードについて、現場の教師や保護者等がTwitter等のSNSで投稿いただくことにより、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です」文科省「『#教師のバトン』プロジェクトについて」)
と目的を掲げ、ツイッターやノートといったSNSに「#教師のバトン」をつけの投稿するよう呼びかけたところ、当初の想定を超えて過酷な勤務環境を訴える声が相次ぐといった事態に陥ったのです。

 文科省の担当局長は8日、改めて趣旨を説明するとともに、次のように話しました。
「国としても現場から直接声を受け止める初めての試みで、厳しい勤務実態を訴える投稿が多く寄せられた。社会から注目を集めたことを前向きに捉えつつ、教師の声を集積する役割を果たしていると思うので、この声を推進力に、迅速に具体的に勤務環境の改善を進めたい」

 マスメディアは今回の事態を「想定外」のこととして記していますが、日本の官僚は案外頭がいいのです。局長の言う「この声を推進力に、迅速に具体的に勤務環境の改善を進めたい」「教師たちの声と実態、マスコミの後押しを背景として財務省に圧力をかける」という当初からの予定だったのかもしれません。

 

【金よりも時短だ】

 冗談はともかく、このままでは学校教育は潰れてしまうという話は、ずいぶん前から現場の一部でささやかれていたものでした。管理職になってからの私もその旗振り役のひとりでしたが、そんな私にとっては腹立たしく、文科省にとっては幸いなことに、最前線の先生たちは忙しすぎて新聞も読みませんし、おかしいと思っても抗議をするだけの時間もエネルギーも残っていません。そんなこんなで唯々諾々と従って今日まで来てしまったのです。平成不況が教員(公務員)人気を支えてしまったのも悪しき要因だったといえます。

 ツイッターの「#教師のバトン」には私たちが放置してきた学校のさまざまな問題が延々と書かれています。とにかく緊張感の高い業務が休み時間なしに12時間以上続くこと、長時間労働の象徴として部活動の負担が特に大きいこと、どんなに働いても残業手当がつかないことなどが、多くの先生たちによって語られているのです。
 
 いくら残業をしても手当が出ないことについては、もちろん金銭は評価としての面を持ちますから“一円の価値もない仕事”をさせられているみたいで面白くないのですが、実際にもらったところで使う時間もありません。それに部活動の特殊勤務手当みたいに「休日に4時間以上部活指導をしたら3400円」と「休日の部活動は3時間まで」がセットになるといったまやかしのまかり通る世界です、手当が出ても同時に何が起こるか分かりません。

 本給のたった4%(金額に直すと初任者で8000円、平均給与で1万4000円程度)の調整手当でも、「働かなくてももらえる手当」ということでメチャクチャ叩かれ続けてきたのです。残業手当が出るようになったらかえって「高給の上に高い残業手当をもらっているのだからもっと働け」ということになりかねません。
*ちなみに現在は時間外労働を45時間以内するよう文科省から方針が出ていますが、調整手当を45時間で割ると、教員の残業手当は平均で時給311円にしかなりません。小学生のお駄賃みたいなものです。

 もちろん手当が出ればそれに越したことはありませんが、私としてはそれよりも時間外労働を極端に減らすことの方が先決だと思っています。ツイッターに、
 出勤 7時
 退勤 21時
 基本的に休憩なしです。
 小学校勤務、初任者で1年目、まだ4日目でこの状況です。もう限界です。
助けてください。
ツイッター「#教師のバトン」より)
と書かれるようではおしまいです。あとについてくる者など出て来ようがありません。


【学校教育という寄せ鍋をどう扱うか】

 国語・社会・数学(算数)・理科・・・といった基本的な具のきちんと入った学校教育という寄せ鍋に、性教育やら人権教育やら総合的な学習やら、キャリア教育・薬物乱用防止教育・メディアリテラシー教育といった新しい具をてんこ盛りに乗せ、教員評価・学校評価・学校評議員制度・地域交流・教員免許更新制度を加え、さらに小学校英語だのプログラミング教育だのを、なんとかようやく乗せきったら、「教員の働き方改革」という蓋をしなくてはならなくなった。今のままでは蓋がかぶさらない――それが今の状況です。無理に「時間外労働は月45時間まで」の蓋を押さえれば具も鍋も傷みます。

 このままでは絶対に破綻することは分かっているので、そこで抜き始めたのが鍋の底の方にある、基本的で定評のある具材たちです。部活動、清掃活動、児童生徒会活動、動物飼育、植物栽培、いずれも価値があるものなのに無残に捨てられようとしています。
 30年前、それらは大して苦痛ではなかったのです。それなのになぜ消されなくてはならないのでしょう? 
 大根もはんぺんも、がんもどきもないのに、ウインナーやら唐揚げが入った鍋なんて!

(この稿、続く)