カイト・カフェ

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「終活の一環としてリフォームを考える」~妻、シンプルライフをめざしてみる②

 今年の夏の一大課題は、
 「人生の最終盤の生活のため、家をリフォームする計画を立てる」
 しかし何も決まってこない。台所にものが多すぎるのだ。
 こんな雑多なものが全部必要なの? その答えが《必要》、だから困る。  

 という話。(写真:SuperT)

【なぜ今、リフォームが必要なのか】

 今年の夏休みの最大の課題は、
 「人生の最終盤の生活のために、家をリフォームする計画を立てる」
 です。

  なぜ今リフォームを考え始めたか、理由はいくつかありまが、

  1.  家が間もなく築30年で、細かなところで老朽化が進んでいること。
  2. 「品質保証50年。その範囲なら責任をもってリフォーム住宅として販売します」という保証の半分以上を折り返してしまった。
  3. 「私たちがこれからどんどん衰えていくに従って、やがて必要になる改装はギリギリになってからやっても、便利を享受する期間が短くなるだけ」と気づいたこと。
  4. 終活の一環として、残す財産と使い切る財産の目星がついて、リフォーム代金の上限がはっきりしてきたこと。

などが挙げられます。
 中でも3番は、例えば「台所の換気扇のスイッチに手が届かなくなる日がくるから、やがてリモコンにしなくてはいけない」とか、「トイレの掃除も面倒になりそうだから、今流の『掃除がしやすいトイレ』にしておこうといったもので、係(掃除係など)の私としては、早めに手を付けておいた方がいいと考えるものばかりです。
 ところが同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、考え方はまったく異なっており、まだ学校勤めの妻の方は、完全に退職したあと、
「もう一花咲かせるためのリフォームはどうあったら良いのか」
がテーマなのです。

【妻、曰く「もう一花咲かせるためのリフォームはどうあったら良いのか」】

 その「一花咲かせる」の意味、それ自体がよく分からないのですが、趣味というよりは生活の中で自然に、あるいは意図的に磨いてきた、調理・パン作り・菓子作りの技術をつかって「何かをしたい」と考えているみたいで、リフォームの考え方が私とはまったく違うのです。発展的というか積極的というか――。ただし「何かをしたい」の「何か」は、いつまでたっても具体化してきません。
 
 いまからレストランをはじめようといった大それた考えはなさそうですが、子ども食堂のようなものか宅配事業か、儲け仕事かボランティアか、実はそれをじっくり考えている暇がない――。
 土日休みとはいえ、日曜日の朝になるとすでに翌週の授業や行事のことが気になって、お尻がムズムズしてくるようでは退職後の計画という訳にもなかなかいかないのです。
 もしかしたら定年と同時に何かを始められる人は40代~50代の最初から、あるいは30代くらいからすでに退職後に具体的な夢を描き、着々と準備してきた人だけなのかもしれません。

【調理器具、これが全部必要なの?】

 さて、そうはいっても将来に対するすべての条件が整わなければ何もできない、ということではいつまでたっても何も始められません。
 そこで、妻としては台所に入り切れず納戸やら物置やらあちこちに散らばった食器や調理器具を、いったん呼び寄せてそこから考えたいと言い始め、私は逆に《呼び寄せるにしても、そもそも入りきれずに散らばったものだから取捨選択しなければ入って来ないだろう》と、(私にとっては)しごく真っ当な意見を言ってそりが合わなくなります。

「だって必要なものは捨てられないでしょ」
と妻は言います。
「だけど、おたま5本とかフライ返し3本とか、木製ターナー2本とか、シリコンターナー4本とか、シリコンスプーン2本とか、そういうもの、全部必要なの?」
と私も畳みかけます。
 そう言いながら目の前につるされた調理器具を眺めて、私もふと、
「これ、全部必要なのかもしれないな」
と思い始めたりするのです。
(この稿、続く)