カイト・カフェ

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「最近、コロナでやめたもの」~私は生活の一部を変える

 先週、
「もう民放のニュース番組とネットニュースは見るのをやめる」と言ったが、
 他にもやめたものがある。
 それも含めて、
 今日は「コロナでやめたもの」すべてについて語ろう。
というお話。

f:id:kite-cafe:20200420070646j:plain(「品薄」フォトACより)


 

【ネット・ニュースをやめる】

 Yahooニュースにお世話になって20年以上、毎日最低一回は――と書きかけて、いやいや一回どころではなく、時には日に20回も30回と見ていたはずと、我ながらその依存ぶりにびっくりしています。学校教育や教育そのものに関する無理解・無体な記事を探して、それをネタに記事を書く(「キース・アウト」)という目的もあってのことですが、最近は新型コロナでさらにアクセスする機会が増えていました。

 特定の新聞や雑誌を読むのではなく、広く、浅く、情報を手に入れるには都合がよいと思っていたからです。先週、
 「Yahoo自体もアクセス数を増やすために刺激的な記事を選んでいるに違いありません」と書くまでは、です。

 なんと愚かだったのでしょう?
 ポータルサイトだって広告収入で稼いでいるのです。公平にマスコミの記事を扱う必要なんてありません。
 人々が感動するもの、喜ぶもの、気分をゆったりとさせるもの、人々を幸福にするもの。しかし本当にサイトのアクセス数を増やすつもりだったら、そうした正の感情ばかりにではなく、むしろ負の感情にこそ焦点を当てるべきです。
 怒り、怖れ、嫉妬、劣等感、疎外感、見捨てられ感、そうした感情を刺激する内容こそ、人々を引き寄せて離さない。

「日本はもうダメだ、滅亡だ」
「緊急事態宣言、遅すぎてもはや手遅れだ」
「なぜ芸能人はいち早くPCR検査が受けられるのか」
「日本政府のリーダーシップは先進国の中で最低」


 そう言えばYahooニュースには週日、ほぼ間違いなく「宮根誠司(ミヤネ屋)がこう言った」「玉川徹(羽鳥慎一モーニングショー)がこう言った」、時には「立川志らく(グッとラック!)がこう言った」といった記事が載っています。それも大した発言ではありません。
 それがなぜいつも記事になるのか――。

 もっと早く気づかなくてはいけなかったのですが、要するにアクセス数が稼げるからです。
 宮根氏も玉川氏も発言の炎上しやすい人です。あまりにも頓珍漢だったり過激だったり、日ごろは穏やかな私も思わずにコメント欄に書き込みをしたくなるほどですが、それこそYahooの狙いなのです。なぜそれに20年も気づかなかったのか。
 
 

【民放の情報番組をやめる】

 宮根・玉川両氏についていえば、そもそもなぜこんな人たちが情報番組の看板を背負っているのか、ずっと疑問でした。

 「情報ライブ ミヤネ屋」ではVTRのあとで女性アナウンサーがパネルを使って要点をまとめ、そこまではいいのですが、同じパネルを宮根氏が再び読む。つまり同じ内容が「手変え、品替えず」3度にわたって繰り返されるわけで、その分、時間が押す。
 押した時間はどう取り戻されるのかというと、コメンテーターや専門家の発言を途中で切り上げて、何のまとまりもなく次々と新しい話題に進んでいくわけです。
 実に傲慢で無礼なやり方です。

 傲慢で無礼といえば玉川徹というテレビ朝日の社員はさらに傲慢無礼で、現実を無視して正論ばかりを振り回すので他の人が対抗できない。正しいと分かっていてもできない人間の弱さや社会のあり方が全く理解できないので、 “常に正しい”場所から自然と人々を見下したようにもなる。

 人を尊重せず人を畏れない人間の思想は、常に上滑りなものになります。誰もついていけませんから、世の中は彼の思うようにはならない。だからよけいに怒る。
 その怒りは一面で国民の憤懣をそのまま引き寄せて喝采を引き起こし、他方で別の立場の人々からの猛烈な攻撃を受けて、いずれにしろ視聴率を上げる原動力になります。
 要するに番組自体が炎上商法を行っているようなものです。

 私は「ひるおび!」のMC、ホンジャマカ恵俊彰さんはうまく馬鹿を演じることのできる賢い人だと思っています。だから番組も程よく気持ち良いのですが、宮根・玉川を切り捨てて恵氏を拾う理由もないので、これもやめることしました。
 テレビの情報番組はNHKだけで十分です。
 
 

【一喜一憂をやめる】

 たぶん私は数字が好きです。エクセルはおそらく趣味のひとつです。
 大して技能があるわけではないのですが、数値を入れて一定の手順を取れば必ずグラフができるという確かさが好きなのです。思った通りのことができないとしたらそれは100%私が悪い、そういう白黒はっきりしたところも小気味よい。

 ところがそうやって世界の国ぐにや日本の13都道府県の新型コロナ感染状況をグラフにしてみると、さまざまなことが分かってくる気がします。あくまでも“気がしてくる”のレベルなのですが、週ごとで変化にリズムがありそうだとか、この県はもしかしたら終息に向かうとか、あるいはこちらはヤバいかもしれないといったことです。
 そしてグラフの動きに一喜一憂し始めます。先週の東京都に対する思い入れはその典型でした。

 新規の感染者数が4月11日の198人でピークを迎え、ローソクの炎が最後に揺れながら消えていくように、グラフは多少の増減を繰り返しながら全体としてはゼロに向かっていく。日本全体も緊急事態宣言以来2週間もしないうちに、第一波の終息を迎えて静かに落ち着いていく、そんなふうに思えたのです。そして期待に胸が膨らむ――。

 しかし先週金曜日、ついに東京都の感染者数は200を越え、私の夢は消えてしまいました。新型コロナウイルスは日本人をしても容易に勝てる相手ではないのかもしれません。

 ここにきてようやく、私も腰を据える気になってきました。数字の増減にいちいち反応するのはやめましょう。どっちみちこの戦いは長くなるのです。
 
 

【ドラッグストアに行くのをやめる】

 さすがに朝から薬局・薬店に並ぶようなことはしませんでしたが、機会があると一応のぞいてみる生活をこれまでしてきました。しかしもうやめます。

 街には布マスクもずいぶん見られるようになり、“感染させない”という意味では布で十分ですから私もそうします。畑のど真ん中で鍬をふるいながら感染に怯えるほど神経質でもありませんから、そもそも必要性が低いのです。
 娘や息子のところには花粉症予防のための買い置きがありますし、布マスクも妻の手作りを送りましたので、こちらも心配しなくて済みます。

 手洗いが丁寧にできない孫のためにアルコール・ジェルが欲しかったのですが、絶対に手に入りません。そもそも店に入荷してさえいないのですから見に行ってもしかたないでしょう。トイレットペーパーやティッシュボックスは既に品薄でさえありません。

 先日、ホームセンターに農業用品を買いにいったら、台所用品の場所にアルコールスプレーが2本だけ置いてありました。ないはずのアルコールもある時はあります。1本買って、それで十分です。ドラッグストアへは、もう当分行かなくて済みます。
 
 

【人との接触をやめる】

 目標は8割の接触削減だそうです。
 しかし私の場合、苗や農業用品を買うために10日に1回くらいの割合で行くホームセンター以外、これといった人間との接触がありません。
 “毎日会う”という範囲だと、一人暮らしをさせている母と同居の妻しかいませんから、母のところに行くのをやめて5割の削減、あとの3割を妻のどこから切り取るか――台所で包丁を研ぎながらそんなことを考えましたが、なかなか難問です(もちろん冗談です)。
 30年以上連れ添うとほとんど会話もありませんから、すでに3割以上削減しているのと同じかもしれません。それでよしとしましょう。