カイト・カフェ

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「家庭菜園ティスト、子孫に美田を残す決意をする」~今年の畑の準備ができて考えたこと②

 都会はどんどん変化するが田舎の動きは鈍い。
 そもそも変化の必要性さえ乏しい。
 おそらく200年経っても、緑の同じ世界があるだろう。
 だから私は子孫に美田を残したい。
という話。(写真:フォトAC)

【田舎は8000年経っても田舎のまま】

 2001年のアメリカ映画、スティーブン・スピルズバーグの『A.I』に、主人公のロボット少年が、疑似的な母親である人間の女性に捨てられる場面がありました。滑るように走る未来カーに乗せられ、かなりの時間、深い森の中を走ったあげく最後に遺棄されるのです。悲しい場面でしたが、そのときふと思ったのは、
《人間そっくりのAIロボットが普通に生活しているほどの遠い未来でも、こんなに深い森があるんだ》
ということです。

 スピルバーグが『A.I』の次に制作した映画は、これも明るくない未来を描いた「マイノリティ・リポート」でしたが、ここでも住宅地や別荘地は20世紀の、中でも1950~60年くらいの、かなり古い風景でした。未来都市では高速道路網が十重二十重に走っているのに、一歩中心を離れると昔と変わりない風景が残っているのです。

 21世紀に入ってつくられたSF映画の多くで、都市を離れた場所の描写がむしろ同時代よりも古いものになっています。『エクス・マキナ』(2014年、イギリス)の舞台は広大な山岳地帯の奥にある別荘でしたし、『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年、アメリカ)は地球外とはいえ、まったく開発されない砂漠の惑星が舞台です。調べたら『デューン』の舞台は102世紀末だそうですから8100年も先の話です。8000年経ってもこの始末では、田舎はいつまでたっても田舎のままです。

 考えてみたら、『2001年宇宙の旅』(1968年、アメリカ)では21世紀に入ると背広で宇宙旅行ができることになっていましたし、2003年4月7日には日本で鉄腕アトムが生れていて、子どもサイズのロボットの胸に10万馬力の小型原子炉が搭載されているはずでした。しかし時代はまったくそんなふうにはなりませんでした。

【100年~200年経っても変わらないものがあるだろう】

 21世紀に入ってすでに23年と数カ月が経ちましたが、次第に見えてきたのは、科学がどんなに進歩しようと、社会がどれほど変化しようと、100年経っても200年経っても、今とほとんど変わらない生活や事物や、風景や制度があるだろうということです。
 
 家ひとつをとってみても、私が幼少期を過ごした60年前と比べれば、屋根にソーラーパネルは乗っているし窓枠はアルミサッシだし、中に入ればテレビはバカでかくてしかも薄く、台所に入ればIHコンロはあるし冷蔵庫はこれもバカでかいし、水道の蛇口をひねるだけでお湯が出てきます。四角い白い箱に料理を入れてダイヤルを回すと数分後に「チーン」という音がして、食品が温まって出てきます。半世紀前の、まだ30代だった私の母親に見せたら腰を抜かすことでしょう。

 しかし調理そのものは江戸時代と同じで、今も食材はまな板の上で包丁を使って切り、鍋を使って煮炊きし、さらに自分たちで盛り付けると食卓まで運ぶのはやはり人間です。食べ終わって食洗器を使うのは大きな進歩ですが、洗い終わった食器の一枚一枚を食器棚に納めるのも人間のままです。そのあたりは60年前と、いや100年、200年前とも、さほど変わっていないのです。

 もう一度屋外に出て自宅を眺めると、昔に比べたらかなり立派になりましたが、鉄腕アトムに出てきたような繭型だのキノコ型だのといった未来的な姿にはなりませんでした。おそらく100年経っても200年経っても家の形はさほど変わらないでしょう。
 私たちは特別な必要性や必然性が生れない限り、慣れた生活を手放したがらないのです。家というのはこういうものだ、こんなふうに使うものだといった思い込みや伝統から、そう簡単に自由になれるものではありません。

 そして、ここからが本題みたいなものですが、今年の畑の準備が終わって考えたことのひとつは、100年経っても200年経っても私のような田舎の退職者は、春になるとスコップや鍬を手にして、嬉々として家庭菜園を営んでいるだろうということです。それはほとんど間違いのない話です。

【子孫に美田を残す】

 ただで手に入る太陽の光と気温、水と土地ある限り、今とほぼ同じ農業は永遠に生き続けるだろうと私は思っています。
 もうひとつのディストピア映画『マトリックス』(1999年、アメリカ)のように地球全体が核で汚染されたというような特別な事情のない限り、すべての農業を工場で行う時代など経費が高すぎて来るはずがありません。100年経っても200年経っても田舎の風景は変わらず、人々は田畑に囲まれてゆったりと陽の光を浴びているはずです。もしかしたら過疎化の進む分、今よりさらにゆっくりと時間は流れているのかもしれません。そんな未来にあっては、私たち「家庭菜園ティスト」もまた、ゆっくりと同じ生活を送っているに違いありません。変える必要がないからです。
 
 考えてみれば江戸時代の武士だって大半は敷地の中に畑をつくっていました。明治・大正のサラリーマンも、多くは農家から出てきましたから、農繁期や休日は家の手伝いもしていたはずです。その意味では、部分だけを見れば、昔とまったく変わらない生活をしているひとはいくらでもいますし、これからも出てくるでしょう。
 そう考えると、私は今年も畑に力を入れて、子孫に美田(ホントは畑だけど)を残すようにしたいと思います。私の子や孫たちが、あるいはその世代の誰かが、この畑を喜んで使う日がくるような気がするからです
(この稿、終了)