9歳・10歳の節目

 一昨日の会報に相沢先生が「9歳の節目」ということを書いておられました。

 この「9歳の節目」あるいは「9歳・10歳の壁」は、人間には9歳・10歳になるまでにつけておくべき力があり、それを過ぎるとなかなか身に着かないという考え方です。

 これについて最初に気がついたのはろう学校の先生方だといわれています。長い経験の中から、9歳以前に耳の不自由になったお子さんは、たとえば「政治」とか「協力」「豊かな社会」といった抽象的な概念についての言語習得が、非常に困難なことに気がついたのです。「政治」も「協力」も「豊かな社会」も絵や物で示して見せることはできず、大量の言語体験によって獲得するしかないからです。

 9歳・10歳(小学校3・4年生)が特殊な年代だということは、私たちの日常からも確認できます。

 たとえば図工作品を見ても1・2年生の絵は自由闊達、 何でもありの生き生きとした世界ですが、5・6年生の絵は悪く言えば「へたくそな大人の絵」です。5年生のなってもまだ画用紙に地平線を描き、左の上に太陽を描いて全員こちら向きで跳ね回る子どもを描くようだったら心配しなくてはなりません。いいか悪いかは別として、5・6年生には「本物そっくりに描こう」という欲望がなければならないはずです。

 そして「自由闊達」と「へたくそな大人の絵」の中間に位置する3・4年生は混乱します。1・2年生のような「子どもの絵」は恥ずかしくて描けませんし、5・6年生の「へたくそな大人の絵」にも近づけません。おそらく図工作品にマンガが出るのもこの時期だけでしょう。自分の表現ができないので既成のマンガに頼るのです。

 道徳的にも9歳・10歳は特殊なエポックを形成します。1・2年生は「だって先生が言ったんだモン!」が道徳です。道徳の基準が自分の外(親や先生)にあるのです。しかし5・6年生になれば自己の中に独自の道徳律が育っていなければなりません。そしてその中間に位置する3・4年生は自分の外にも内にも道徳のない……つまり残酷で身勝手で、意地悪な時期です。だからギャングエイジなどといわれます。

 そう考えると、低学年・中学年・高学年では、それぞれ指導の方向や方法が決定に異なってくることが分かります。

 1・2年生は抽象的な思考が十分ついていませんから、たとえば「石を投げたら窓の方へ飛んでいってガラスが割れちゃった」とまるで石やガラスが悪いような言い方をしても、いったんはそういうものだと胸に収めなくてはなりません。1・2年生は本気でそう感じているのです。もちろん「遊ぶときは周囲に気をつけろ」とか「他人に迷惑をかけるようなことをしてはいけない」とか、「そもそも石なんか投げるものじゃない」とかいったことは教えなくてはならないのですが、そのとき必要なのは整然とした理路だとか心に迫る話の仕方といったものではなく、「怖い顔」です。小さな子どもが反応するのは言葉ではなく、表情なのです。

 逆に5・6年生が「石を投げたら窓の方へ・・・」と言い出したら烈火のごとく怒らなければなりません。5・6年生は自分がやったことを自分の責任として引き取ることができなければならないからです。ただしもちろん怒鳴ればいいというものではなく、基本的には静かに、落ち着いて理路を質せばいいだけです。「怖い顔」が決定的な要素ではないからです。

 しかし何にしても、3・4年生というのは本当に道徳的に鍛えがいのある年代ということになりますね。