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「中学生は、英語にも絶望しながら入学してくる」~中1英語がやたら難しくなった

 ウクライナには意外なほど多くの英語使いがいる。
 さもありなん。皆、今日を見越して頑張ってきたのだ。
 日本はそうはいかないし、そうなってほしくない。
 子どもたちは、すでに英語疲れもしているし――。

という話。

(写真:フォトAC)

ウクライナ人々は、どうやら英語が堪能らしい】 

 テレビでウクライナに関するニュースを見て驚かされることのひとつは、英語の堪能な人が何人もいることです。街でマイクを向けられた警察官が英語でボヤく、小さな子どもを抱えた母親が英語でまくし立てる、女子高生くらいの女の子が落ち着いた英語で窮状を訴える――。
 同じことを日本で試したらどうでしょう。
 アメリカ人が街の警察官にマイクを向けたら、英語でボヤいてくれるでしょうか? 20~30代のお母さんが英語でまくし立てるな場面を、カメラは捕えることができるでしょうか? 
 困って英語で話しかければそれぞれ誠実に答えてくれるでしょうが、単なるインタビューなら片っ端逃げ出すのがオチです。

 もっとも「ウクライナの人々は英語が堪能」と言ってもどうやら年齢的限界もあるみたいで、私よりも年上、つまりお祖父ちゃんお祖母ちゃん世代はムリなようです。マイクを向ければウクライナ語しか返ってきません。ただしこの世代はロシア語はできて、今回のウクライナ戦争の初期、街に立つロシア兵に、
「ポケットにヒマワリの種を入れて戦場に行きな! お前が死んだらそこからヒマワリの花が咲くから」
と毒づく老婆の姿が世界に配信されました。

 なぜウクライナの年寄りはロシア語が出きて、若い世代は英語が堪能なのか――。
 要因は歴史と今回の状況を振り返れば明らかです。年寄りがまだ年寄りではなかった時代、つまりウクライナソビエト連邦の一部だったころは、ロシア語で喧嘩ができるほどに堪能でないと生きていけなかったからです。
 若者は、世界中のどこへ逃げても英語さえできれば最低のことはできそうだと、そんな切実な思いから英語を学び、あるいは学ばされてきたのでしょう。


【母国から追い出される人、政府から逃げなくてはならない人々】

 ウクライナを脱出した人々は(のちに国内に戻った人も含めて)600万人にものぼるそうです。ところが同じ時期、母国を離れたロシア人も200万人以上いたのです。
 政府による弾圧を怖れて脱出した反戦の士もいれば、自由を求めて国外に逃れる芸術家もいました。とにかくロシア国内に留まったら財産が守れない、商売にならない、そういった事情で逃げた人もいるでしょう。もちろんその上、おそらく外国語ができたから軽々と国境を越えられたのです。
 私のような人間は戦争が始まったからと言ってすぐに動くことはできません。日本語とその方言しかできないからです。国を棄てるハードルが最初から高いのです。

 以前、文在寅前大統領のお嬢さんが東南アジアに本拠地を移し、そこで暮らしているという報道があって話題になりました。日本の大学に留学経験のある娘さんです。
 テレビにたびたび顔を出すサムソン電子の副会長:李在鎔(イ・ジェヨン)さんはソウル大学卒、慶応大学修士課程修了、ハーバード・ビジネススクール博士課程修了という輝かしい肩書を持っています。しかし注目すべきは頭の良さではなく、日本とアメリカの両方に足掛かりを持っている点です。資産の一部も海外に移してあるはずです。
 ついでに言えば中国の習近平のお嬢さんもハーバード大卒でした。

 韓国の政財界、あるいは中国の支配者層のほとんどが海外に資産を持ち、いつでも逃げ出す準備をしています。準備の中にはもちろん語学の取得も入っていて、子弟には厳しく指導してあるはずです。

 昨日まで、私が日本が戦争に巻き込まれる可能性について考えながら、頭の片隅で冷笑的に思っていたのは、“戦争が近づいたら日本人も必死に勉強して、英語も堪能になるかもしれないな”ということです。
 尖閣が取られた、沖縄も危うくなっている、九州でも人々が本州に移動し始めた、と同時に北海道の北側でもおかしな動きがある――そんな状況が10年も続けば、放っておいても人々は英語に熱中します。映画「日本沈没」に近い状態になったら、日本人は世界中に分散しなければならない。そのとき英語は必ず役に立つからです。
 しかしこんな平和な状況にあって、外国軍からも政府からも追われる心配のない現在、何の必要があって小学生のころから英語を学ばなくてはならないのでしょう。


【これからの中学生は、英語にまで絶望しながら入学してくるのかもしれない】

 こんなウンザリとした、皮肉な気持ちになったのはネット上で、
「中学校1年生の英語の教科書が、とんでもなく難しくなっている」
という記事を読んだからです。
 小学校5・6年生で習得してきた部分があるから、それを前提に中1の英語は進められる、そのせいだといいます。納得できる話です。

 かつて中学校の英語は多くの新入生の希望の星でした。
 小学校の6年間に勉強がよく分からなくなってしまった子も、嫌いになってしまった子も、中学校へ行けば英語がある、そこで逆転満塁打が放てるかもしれない、勉強は全部嫌いだけど英語は好きになれるかもしれない、まったく知らない世界だからすごく面白そう――そんなふうに胸をときめかせて始められたのが英語でした。そして実際に英語がツボにはまり、他の教科も引っ張られて学力全般に工場の見られた子もいました。もちろん「やっぱりダメだった」という子も少なくありません。しかし少なくとも半年間は、夢を見て、楽しい日々が送れたのです。それで十分じゃないですか。

 しかし今後は、英語にまでウンザリとした気持ちをもって入学してくる子がたくさんいるのです。かわいそうですね。
 小学校英語って、そんな犠牲を払ってまでやらなくてはならないものなのでしょうか?
 あとは部活くらいしか、新入生が楽しみにする材料はありません。あ、いや、いまや部活動さえも縮小していく方向ですよね。