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「新元号4年目の呪縛:学校で『国防教育』が始まる(かも)」~この戦争は何をもたらすのか③

 戦争を放棄したはずの国なのに、
 いつの間にか世界有数の軍備をもつ国になっていた。
 今回のウクライナ戦争を機に、国土防衛の声も高まるだろう。
 いよいよ教師の頭と腹が試される。

という話。(写真:フォトAC)

【空母保有数、世界第二位の国】 

 航空母艦、いわゆる空母。世界一の保有国はどこだと思います?
 もちろんアメリカ合衆国、なんと20隻もあるそうです。
 では二番目は?
 これがあっと驚く日本の自衛隊なのです。「いずも」「かが」「ひゅうが」「いせ」と4隻も保有しています。

 4隻保有の国は他にもフランス・イタリアがあり、3隻保有国はなくて2隻保有がイギリス・オーストラリア・エジプト・中国・イランとなります。これから艦数を増やしていく中国はまだしも、エジプトやイランが2隻というのも不思議な気がします。また1隻だけという国がインド・ロシアなど6カ国あります。

 ただしこれは広義の「空母」を数えたもので、日本政府は「いずも」や「かが」を空母とは認めずヘリコプター搭載護衛艦と呼んできましたし、アメリカの20隻のうち9隻も強襲揚陸艦と呼ばれています。世の中には航空機を一機も搭載していない「航空母艦らしきもの」(タイ)もあって、厳密に分けるのはなかなか難しいのですが、「いずも」や「かが」の外見はどうしても空母。近隣の国々を空母として威圧できるなら、それはやはり空母でしょう。
 ちなみに「いずも」と「かが」は現在、本格的な空母として運用できるように改修中です。


【時代はいつの間にか変わりつつある】

 かつて私は平和主義の学習に際して、アメリカの原子力空母の写真を見せて同様の船(正確な意味での空母)が11隻もあることを伝え、それから、
「日本の自衛隊には空母が何隻あると思う?」
と訊くのを常としました。
 生徒たちが2とか3とかいう数字を挙げる中で、
「実は1隻もないんだよ。空母は母国から遠く離れたところで戦闘機を発着させる船だから、日本は持つことができないんだ」
 それをきっかけに自衛権自衛隊に関する学習を始めたのです。ところが今は4隻。

 私は「いずも」が就航するまでその存在にすら気づいていませんでしたから、びっくりしました。日本が空母(もどき)を持つことに、大反対運動があったという記憶もありません。話は案外あっさりと進んでしまったのかもしれません。
 局面は、私の知らないところで、もうすっかり変わってしまっているのかもしれないと思ったのはその時です。


【新元号4年目の呪縛】

 今年は令和4年ですが、平成4年といったらどんな重要事項があったと思います?
 私が思い出すのは、PKO協力法が成立して陸上自衛隊カンボジアに派遣されたことです。自衛隊が海外で仕事をするなど、昭和のうちは絶対に考えられないことでした。
 ついでに言えば昭和4年は世界恐慌の年、大正4年は第一次世界大戦の始まった年、明治4年は廃藩置県の年です。年号が変わって4年目から、時代はそれらしい様相を呈してくるのです。
 令和がどんな時代になるのかは、今年のできごとが象徴するかもしれません。

 令和4年、世界をリードする五大国のひとつが核兵器を振りかざして周囲を威嚇しました。こうなると世界中で、「自分たちも自前の核兵器を持つべきだ」という議論が沸き起こって不思議がありません。日本も例外ではないでしょう。
 平成以前には決してなかったことですが、わが国独自の核兵器の開発と製造、保有――そこまで行かなくても、米軍の核の共同運用、いわゆる核共有は真剣に話し合われることになります。「非核三原則(核をもたない・つくらない・持ち込まない)」の危機です。
 日本もウクライナのように核シェルターをつくるべきだ、といった話も出てくるかもしれません。


【学校で「国防教育」が始まる(かも)】

 学校では、とりあえず細かな部分で問題に直面します。
「行き過ぎた性教育」という言葉があるように、性教育は何かと横やりの入りやすい学習内容ですが、平和教育の方は1970年代以前のよう難しさ(日教組の連中が国民を平和ボケにしている、学校は子どもの自虐史観を刷り込んでいる等の批判)は薄れてきていました。憲法9条だとか自衛隊だとかが、比較的淡々と教えられる時期が続いたのです。
 しかしこれからしばらくは気を遣わなくてはならないかもしれません。私のように「日本に空母はありません」などと呑気に言っていられないからです。目の前で軍備が増強されている状況で、「日本は戦争を放棄した国です」と単純に説明するのは困難です。どう教えるか、深く考えなくてはいけません。

 まだ大きな声になってはいませんが「国防教育」を本気で考える人も出てくるでしょう。
 北方領土尖閣諸島竹島の問題は小さなころから繰り返し教えられるべきだとか、戦争が起こり得る可能性についてもっと深刻に考えさせなくてはいけないとか、――そんなふうに考える人たちの声も大きくなってくるはずです。
 もちろん「国防教育」といった仰々しい名前をつけたら抵抗する人も多そうですから、「国際関係教育」とか「国際社会教育」といった当たり障りのないものとなりますが、それでも目指すところは同じです。

 私のようなボーっと生きている人間には教職が勤まらない時代になりました。しっかりと勉強して腹をくくっておかないと、無謀な戦争に子どもを駆り立てた、昭和初期の教員の轍を踏むことになります。もちろん必要な戦いだったらせざるを得ないのですが。
(この稿、終了)