カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「金八の悪しき遺産と等身大の学校」~ドラマが現実を侵食する

 かつて『3年A組 今から皆さんは、人質です』という優れたドラマがあった。
 しかしあれほど優秀な作品でも、学校や教師を嘲笑することを忘れない。
 ただ茶化して嘲笑うだけならいいが、変に真面目だと現実世界を侵食し始める。
 等身大の学校が描かれるとよいのだが――。
という話。f:id:kite-cafe:20211217070713p:plain (写真:TBS)
 

【優れたドラマが現実を歪める】

 2年前の日本テレビに『3年A組 今から皆さんは、人質です』という優れたドラマがありました。主演は菅田将暉で、生徒役に永野芽郁今田美桜上白石萌歌川栄李奈富田望生福原遥など、いまをときめく若手俳優ばかりが配されていました(あれ? 全部女優さんだな)。

 物語はこうです。
 卒業まで残り十日となったある日、都内の私立高校3年A組の担任がクラス全員29名を集め、突然「今から皆さんには人質になってもらいます」と宣言する。校内の一部が爆破され、生徒たちは教室内に閉じ込められる。
 担任の目的は半年前に自殺した女生徒を追いつめた犯人を捜すこと。最初驚愕した生徒たちも担任の与える課題をひとつひとつ解決する中で、次第に団結を高め、真相に近づくとともに問題の本質に気づき始めるのだった――。

 私はこのドラマの第6回(サブタイトルは「容疑者は教師!? 怒濤の第2部開幕」)について長い感想を書いたことがあります。

kite-cafe.hatenablog.com
 非常に優れたドラマの中の、特に優れた回でしたが、十分に満足したわけではありません。
 ひとつはあまりの低予算のために、「教師が学校を爆破して生徒を人質に取る」という大事件にも関わらず、警察もマスコミも野次馬も、とんでもなく人数が少なかったこと、保護者も来ない。
 もうひとつは主人公以外の教師たちが戯画化されすぎていて、呆れることもできないほどに愚かで、信じられないほどバカげていたからです。事件現場に詰めていた教師が夜になると「時間外だから」と言って酒盛りを始めたり、報道関係者が集まったのをいいことに自分の著書を宣伝したりといったありさま。当時はやりすぎの演出かと思ったのですが、今考えると「普通の教師なんてこんなものだ」という明確な主張だったのかもしれません。腹の立つ話です。

【中途半端に真面目だと現実世界が迷惑する】

 このブログでも一昨日、マスメディアは社会を冷笑してはいないか、特にドラマは冷笑主義に侵されているようだといった話をしましたが、学園ドラマなどで教師を笑い者にする風潮はずっと昔からありました。
 1970年前後の青春学園シリーズ(「これが青春だ」「飛び出せ青春」「青春とはなんだ」等)ではすでに、暴力的な体育教師、腹黒く小ずるい教頭、好々爺というだけで何の役にも立たない校長といった図式は定着していました。
 主人公が教師の場合、熱血的に生徒に寄り添うのは主人公ひとりで、後に恋愛関係になる女性教師をのぞいて、あとは全員アホか弱虫です。夏目漱石の『ぼっちゃん』の陰がいつまでも付きまとっています。

 もちろんそれが『ごくせん』だの『GTO』だのといった、荒唐無稽自体が面白ドラマならいいのです。視聴者もそういうものだと思って見てくれます。昨夜最終回の医療ドラマ「ドクターX 」だって、あんな神がかった天才女性外科医がいると本気で信じている視聴者はいませんし、金のことしか考えない上層部だとか、「御意!」としか言わない医師たちというのもあり得ないと私たちは知っています。
 しかし中途半端に真面目だったり深刻だったりすると、視聴者の目は幻惑されます。

【金八の悪しき遺産と等身大の学校】

 『3年B組金八先生』などがその典型で、非行だの不登校だの、あるいは十代の妊娠だのと、とんでもなく深刻な問題を扱いながら、金八先生が言葉の力だけで解決していくさまは、私たちを絶望的な気持ちにさせました。朝、生徒と一緒に笑いながら登校してくるような教師に良い仕事ができるはずはないと感じているからです。言葉の力だけですべてを解決するなんてありえないと思っています。

 実は優秀なのは金八ではなく、教師の言葉をよく聞き、理解するとたちどころに態度を改められる生徒の方なのだということを、世間のひとは理解しません。
 現実の児童生徒はしばしば素直に話を聞くことができない。それは当たり前で、何か問題を起こすような子は長い時間をかけて人間不信を募らせているのです。そう簡単に聞く耳を持ったりはしません。その心を開いて、きちんとした話をし、子どもが理解し納得したとして、問題はその先です。聴かせることも納得させることもできますが、「分かっちゃいるけどやめられない」のが人間です。その生き方を変えるのは容易ではありません。

 タバコが身体に悪いと分かれば、ひとは禁煙ができますか? 今日中に仕上げないと締め切りに間に合わないと分かれば、仕事は確実に終了しますか?
 同じように子どもは、非行グループから抜けようと決心しても簡単にはできないのです。場合によっては半殺しにされるしかありません。勉強しなくてはならないと理解しても、翌日からできるのはせいぜい30分の自宅学習です。それが学習習慣のない子どもの実体です。1年も学校に行かなかった子は、行こうと決心してからのハードルが高い――。しかし金八先生の生徒は簡単にそれができるのです。
 世間の人たちは金八先生の物語を見て、現実の世界は難しくてあそこまではできないにしてもその半分くらいはできるだろうと考えます。しかし半分だってできるものではありません。

 さすがに今も金八の亡霊が生きているとは思いませんが、ひとが学校に寄せる無体な要求の一部は、確実に金八の悪しき遺産です。昨日お話しした「ババア(私の妻)がキュンキュンしてしまう」ドラマ『この初恋はフィクションです』(これも昨夜最終回でした)が安心して見ていられるのは、そこに等身大の学校があるからでしょう。