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「人生の岐路、そこには浅~いワケがある」~TVドラマ「下剋上球児」に見る人間像・教師像①

 TBSドラマ「下剋上球児」が面白い。
 単なる青春スポーツ・ドラマではなく、
 最初から複雑な運命を背負った人々が大勢いるからだ。
 しかも運命はしばしば、とんでもなく間抜けな行動を経て動き始める。
 という話。(写真:フォトAC)

【期待を裏切らない人たち】

 TVドラマ「下剋上球児」、予想通り見応えのあるものになっています。
 プロデューサーが新井順子、脚本が奥寺佐渡子、三人いる演出家のひとりは塚原あゆ子。この三人の組み合わせで世に送り出されたドラマは「Nのために」「MIU404」「アンナチュラル」「最愛」などで、期待を大きく裏切ることはないと踏んでいましたがその通りだったと思っています。以前は脚本家の名前を頼りにドラマを選ぶことが多かったのですが、プロデューサーに注目するという道を開いてくれたのも新井順子でした(以下、ネタバレだらけです)。
 
 ドラマは高校野球で10年連続地方大会一回戦敗退という弱小チームが、新しい指導者を迎えてわずか3年で甲子園大会に出場を果たしたという実話を軸に、監督を任された教員が実は教員免許を持っていなかったというフィクションを絡ませて進みます。
 今週日曜日の第5回放送では、冒頭で主人公の男性教諭が警察に自首し、最後の場面でどうやら起訴・不起訴が決まりそうだというところまで進んできました。2年後の甲子園大会に出場する点は実現しそうですが、免許がなく学校を追われた教諭がどうなるかは全く想像がつきません。
 一部にサスペンスに似た要素を含みながら、ドラマは親子、兄弟、夫婦あるいは同じ高校の野球部仲間、中学校時代の部員仲間、会社の人間関係などを複雑に絡ませて進められていきます。そしてそのいちいちが美しく、かつ現実的です。

【人生の岐路、そこには浅~いワケがある】

 今週について言えばまず、生徒指導に関する逸話がいい(これについてはては明日お話します)、あるいは主人公の南雲が大学を卒業できなかった理由がいい、そしてピッチャーを外されて思いつめていた野球部員が行方不明となり、翌朝発見される、その発見のされ方と行方不明の理由がいいと、あれもこれも、制作者たちの腕の良さを見せつけられた思いです。
 
 主人公は高卒ののち、いったん社会人となって学費をためてから改めて教員を目指し、大学に入り直して、無事、採用試験も合格したのですが、なんと単位不足のために卒業できず、すでに採用も決まっていたために教員免許や卒業証明書等を偽造して公立高校に勤めるようになった、それから3年――というところから物語は始まりました。
 その単位不足の原因が今週の第5回で明らかになったのですが、なんとそもそも卒業に必要な単位を登録していなかった、登録し忘れていたというお粗末さ。奥さんからもその点を激しくなじられます。
 本人にしても「自分でもそう思う」としか答えようがないのですが、大きなミスというのは、もしかしたら考えられないような間抜けな事情からしか起こらないのかもしれません。ありそう事態にはすべて蓋をしてありますから、起こるとしたら「とても考えられないような(間抜けな)事態」だけです。
 
 かく言う私も、中学校の教員免許は自分が卒業した大学で聴講生として取ったのですが、2年で取得できるところが3年かかってしまいました。理由は何と、1年目の受講科目である「教育原理」で、前期試験を受け忘れてしまったのです。後期試験を受けてからしばらくすると事務室から呼び出しがあり、行くと、
「Tさん、『教育原理』の前期試験、受けてないよね」
「前期試験、あったのですか?」
といった具合です。
「受け忘れたのが後期試験だったら何とか救済措置も考えられるけど、前期試験じゃねえ」
 教育実習は「教育原理」未履修のまま行くわけにはいきませんから1年先延ばしになり、必然的に2年で取得できるものが3年かかったわけです。
 「下剋上球児」はフィクションですが、「能力が足らなくて試験が通らなかった」とか「その日に限って寝坊した」とかいった想像しやすい原因より、とてもありそうにないことにとこそ、むしろ現実味はある私は思います。
 
 さらに野球部でピッチャーを外された子が、行方不明になる場面では――。
 もちろん失踪や自殺まで考えられる事態ですが、ふと立ち止まって《特に執着していたわけではない投手のジションを外されたくらいで、げんだいのこどもが失踪したり自殺したりするのか?》と問えば、確かに妙な気もしてきます。
 もちろんその子の性格や状況を丁寧に分析しなくてはならでしょうが、毎日往復四時間の遠距離通学をして、野球部の練習にもアルバイトにも精を出さなくてはならない高校生が、夜、遅くなっても帰宅しないとしたら――失踪・自殺以外に、どこかで寝込んでしまっているのかもしれない、というのも有力な可能性としてあがってきます。
 「下剋上球児」にはそうした奇妙なリアリティがあります。

【実際の世論は、子ども社会であっても一方的に流れることはない】

 リアリティと言えば、実際に教師の犯罪が明らかになった場合、周囲の人々はどう反応するのが現実なのでしょう。どういう現実がありそうでしょう?
 「下剋上球児」の周囲ではさまざな人たちが噂し合い、低い声で小さく罵り、あるいはあからさまに非難したりします。しかし「がんばれよ」と声をかけてくれる人だっています。
 主人公のそばには妻の連れ子の小学生がいるのですが、心配された通り、学校で「偽教師の子」呼ばわりされて嫌な気持ちにさせられることもあります。しかし「かわいそうじゃないか」と割って入ってくれる子も、「気にすんな」と言ってくれる友達もいます。それが現実です。

 実際に、子ども保護者が刑事事件の被害者または加害者となった場合、学校は最大限の臨戦態勢を取ります。市町村教委の担当者も学校に入り、都道府県教委からも電話が入り――何をするのかというと、子どもの守りに入るわけです。
 職員会議で意思統一を図り、学校全体がその子の盾となるように道徳の授業や学級活動の時間を使って話し合ったり指導したりします。もちろん権威主義国家ではないので指導が完璧ということにはならず、ドラマに出てきたような意地の悪い子たちはゼロにできませんが、支える子の方が多ければ問題はないのです。

 それでも社会やマスコミの目から子どもを守り切れなくなると、自治体にはDV対策のために避難施設もありますから、親子で一時的に収容することもあります。
 私自身はそうした経験があるわけではありませんが、昔、妻が勤務していた学校の校区内で大きな事件があり、その時の対応を、妻を通じてよく見ていたので知っているのです。

 「下剋上球児」ではそこまで徹底した対策が取られたわけではありませんが、それ以前の対応がほぼ及第点だったからなのでしょう。子どもはいじめられなくて済みそうです。
(ただし、主人公に対する職員室内の反応は、やや厳しすぎて感心できないものでありました)
(この稿、続く)