「誰かが支えるべきだった二つのできごと」~クリニック放火とアナの死 

 先週金曜日に最終回となったドラマ『最愛』には
 誰かのために支え尽くす人物がいた。
 しかし現実社会には支えのない人と支えきれない人の双方がいる。
 先週末に起こった二つのできごとは、そのことを考えさせる。

という話。f:id:kite-cafe:20211220072558j:plain(写真:フォトAC)

【加瀬という生き方】

 先週金曜日、TBSドラマ『最愛』の最終回が放送されました。

 ネット上ではさまざまに推理され、私も娘と夢中になって話し合い、ほぼ完璧な犯人捜しに成功したと思ったのですが結論はまったく違ったものでした。

 これに関して「第9話までに加瀬犯人説に何の伏線もなかったじゃないか」とか「渡辺父殺しが計画的なものでなく、その場の衝動では推理しようがないじゃないか」とか「最初の被害者の持ち物は、寮の2階の酒盛の部屋にあるはずだがどう始末したのだ」とか、言い始めた切りがありませんが、『最愛』という題名のドラマとしては加瀬犯人が一番妥当であり、「登場人物それぞれの最愛とは何か」というテーマが、「いざとなれば平然と一線を越えてしまう加瀬弁護士の『最愛』」に凝縮されてしまっても、まったく文句のないところです。十分に楽しめたドラマでした。

 私は、誰かのために全力を尽くすという生き方に非常に共感します。世の中には自身が主人公であるような生き方を求める人もいれば、社会の片隅にじっとして目立たぬように生きるのが理想だという人もいます。それぞれに合った生き方があり、信念があり、あるいは運命のとして受け入れざるを得ないとことがあります。
 最終的には好みの問題かもしれませんが、私自身はどこかの中心になるのではなく、その中心が中心でいられるよう、様々に配慮し、手を尽くし、陰に陽に支え尽くすような生き方が似合っているし、好きでもあると考えています。

【誰かが支えるべきだった二つのできごと】

 『最愛』の最終回が放送された同じ金曜日の日中、大阪の北新地近くでは大変な事件が起こっていました。雑居ビルにおける心療内科の火災です。その日の報道では事件か事故かさえはっきりしていませんでしたが翌日土曜日以降、チラホラ情報が出てきました。
 61歳の元患者が可燃物を紙袋に入れて持ち込み、火をつけたらしいとのことです。本人も命の危険があるほどに重体とのことですから、おそらく着火されたのはガソリンに近い何かなのでしょう。昨日の段階では24人が亡くなり、3人が重体のまま、一人が軽傷。被害者の大部分は治療中の患者さんです。

 普通の生活をしていた人が突然亡くなるのも切ないですが、心療内科の患者となれば亡くなるその日までも苦しい日々が続けられてきたのでしょう。ご遺族も含めてほんとうにお気の毒だと、心底から哀悼の気持ちが沸き上がってきます。
 現在報道されている通りにこれが放火だとすると、犯人は憎んで余りあるところですが、その人も患者でした。まだ十分な情報は出て来ませんが、一部では、
「容疑者は1人暮らしで、近所づきあいもほとんどなかったとみられている」
とか、
「元勤務先の関係者は『みんなに縁切られて、親にも兄弟にも子供さんにも。一人ぼっちになった』『そういう心の悩みを主人に打ち明けています』と語った」
といった話も出ています(2021.12.19 ytvnews「北新地放火殺人 自転車で可燃性液体運ぶ?」)。
 誰か側にいて支えてあげられなかったのか――。

 そうかと思ったら昨日(12月19日《日曜日》)朝には、「神田沙也加さん死亡」というニュースが飛び込んできました。自殺とみられるそうです。
 これも、誰か側にいて支えてあげられなかったのか――。

 追いつめられた人間を支えることの難しさはもちろん承知しています。自殺念慮の強い人は24時間見張っていてもダメな時はダメです。
 火災事件については、「みんなに縁切られて、親にも兄弟にも子供さんにも」といった状況には本人の問題も大きかったのでしょう。支援の手を振り切ったり、逆に支援者を傷つけたりする人の多いことも十分わかっています。しかしそれでも、誰か側にいて支えてあげられなかったのか、そう思わざるを得ません。

【フランシスコの平和の祈り】

 先週の日曜日(12日)のNHK海外ドラマ「アンという名の少女」では、重要な人物の一人が病気で死ぬ場面が出てきました。多くの村人から讃美歌を贈られた女性は、「なんてお礼を言ったらいいのか――」と迷いながら、一番好きだという祈祷文を読むことにします。
 あとで調べたら「フランシスコの平和の祈り」と呼ばれる有名な一節でした。

 主よ 私を平和のためにお使いください
 憎しみがあるところに愛を置かせてください
 争いがあるところに赦しを
 疑いがあるところに信仰を
 絶望があるところに希望を
 闇があるところに光を
 哀しみがあるところに喜びを
 ああ主よ 慰められることより慰めることを私が求めますように
 愛されるより愛することを求めますように
 なぜなら私たちは与えることによって受け取り
 赦すことによって赦され
 死ぬことによって永遠の命を得られるからです。


 人にはさまざまな状況があります。そのときどきに力の残っている者が力のない者、弱っている者を支えるのが人間社会の習いです。
 私は現在余力のある側なのに家族以外の誰も支えておらず、ずいぶん悔しいことです。