カイト・カフェ

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「AIのものはAIに、人間のものは人間に」~教師がAIに取って代わられる日③ 

 人間並みの表情をもったロボットが生まれない限り
 AIに人間教師の代わりは務まらない
 しかしAIにしかできないことも多い
 だから AIのものはAIに 人間のものは人間に

という話。

f:id:kite-cafe:20191122071201j:plain(「ヒト型ロボットの目」パブリックドメインより)

【統一されないAIのイメージ】

 あるテレビ番組で、
「あなたは自分の子や孫を、人間ではなくAIに任せたいと思いますか?」
という問いに答えが割れたのはとてもショックでした。ただしよく考えてみると、このときの“AI”を、回答者たちはどんなものとして思い浮かべていたのでしょう? おそらく具体的イメージはなかったのではないかと思うのです。少なくとも統一されたイメージはなかった。

 現在のままAIが驚異的な進化を遂げて子どもたちがモニターとヘッドホンで教育を受けるのと、映画「ターミネーター」のT800(アーノルド・シュワルツェネッガーが演じた)のように肉の柔らかさと体温を持った、外見上は人間とまったく区別のつかないAIロボット(ただし顔はもっと優しい)から教育を受けるのとではまったく違います。
 とりあえず前者だとすると、子どもは半日と持たない。小学校1年生など気がつくと半数も脱走しているかもしれません。だからといって教室内に監視ロボットを置くわけにもいかないでしょう。

 映画「ターミネーター」でT800は2029年から送り込まれたことになっていますが、あと10年であんなすごいロボットができる様子もありません。できるとしたらソフトバンクのペッパーくんを少々進化させた程度のものですが、ペッパーくんには目くばせとか、睨みつけだとかは難しそうです。アニメーションのような目の動きは可能でしょうが、それで子どもが動くかどうか――。

 そう考えていくと、そもそも「人間かAIか」という二者択一で考えたこと自体が間違いだったと気づかされます。

【教師は仕組み、仕掛け、罠を張り、誘導する】

 イメージの統一性がないといえば、学校教育・授業・学習といったものに対する統一的なイメージのないことにも驚かされます。
 ほとんどの日本人はこの国に生まれてこの国の教育を受けてきたはずなのに、この国の学校教育の実相が見えていません。教育関係者以外は教育の受け手として学校教育を経験しただけですから、1時間の授業の中にどれほどたくさんの仕掛け・罠・目論見があるのか気づかないのです。つまり学校教育というものが分かっていない。

 校則問題などでマスコミはすぐに「子どもたちに話し合わせろ」みたいなことを言いますが、何の仕掛けもせずに「話し合い」に付したりすると、あっという間に「校則ゼロ」などといった極端な結論が出たり、逆におそろしく厳格な校則になったりといったこともありそうです。
 いじめ問題も不用意に話し合わせると、被害者をみんなで吊るし上げる「大いじめ大会」みたいになってしまうか、運よく加害者が糾弾される場合も程よく収まらず、人民裁判魔女裁判のようになって一瞬で元加害者が“深刻ないじめの被害者”になってしまいます。
 雲行きが怪しくなってから慌てて割って入り、流れを無理やり変えようとしたり話し合いそのものを中断したりすれば、今度は“担任を高く吊るせ”ということになりかねません。少なくとも子どもたちに不信感を芽生えさせ、指導力は格段に落ちます。

 放っておいても「話し合いが正しい方向に向かう」「問題が解決する」というのは、自立した大人が条件のそろった場で行うときだけで、話し合いですべてが済むならイギリスのEU離脱も北朝鮮の核放棄もこんなに長引いたりしなかったはずです。

 ところが学校の話し合いは、たいてい50分以内に片が付く。
 国語の読み取りも理科の仮説づくりも、社会科で資料の見方が割れたときも、子どもたちがにっちもさっちもいかなくなって不完全燃焼のまま終わるということはありません。そうならないように教師が仕組んでいるからです。

 たくさんの資料を用意して必要に応じて提示し、適切な問いかけ(発問と言います)で方向付けをし、目くばせをしたり冷ややかな表情をしたり、目を輝かせたり唇をキッと結んだり――そんな非言語的コミュニケーションを駆使してそれと悟られぬよう誘導しているのです。
 特に日本の場合、相手を押しのけても自分が言いたいといった子どもはほとんどいませんから、発言を掘り起こすだけでも大変です。それができるようにならない限り、AIに担任業務は務まりません。

 もちろん子どもたちに考えさせたり話し合わせる必要はない、勉強ができるようになればいいということであれば話は別ですが。

【AIのものはAIに、人間のものは人間に=私のAI活用法】

 一方、AIの方が優れている点も少なくありません。
 記憶し、計算し、分析するといったことに関して人間は到底かなわなくなっています。そういった部分について、AIはもっと進化し学校の中に入って行くべきでしょう。

 私が考えるAIの活用法はこんなふうです。
(このAIは私仕様でA愛=Alove《エイラブ》という名前にしましょう)

(教室で)

「OK! Alove、電子黒板にナイル川の航空写真を出してくれるかい? うん、そうだね。で、ついでにアレクサンドリアの年間降水量に関するグラフを重ねてくれ。それと、生徒たちのモニターには気温のグラフもね」
「OK! Alove、今から計算練習の時間にするから、それぞれの習熟度に合わせた問題を児童のモニターに出してくれ。その間に私はA君の分からなくなっているところを一緒に考えるから」
「OK! Alove、今のB君の逆上がりの映像、3方向からのものに変換して映し出して。なぜうまくいかないか、みんなで検討するから」

(職員室で)
「OK! Alove、今日のミニテストの成績を一覧表に入れておいて。それから教育委員会から来ていた書類、中身は先月と同じでいいから日付だけ今日にして送っておいて。あと何かやっておくべき仕事があったかな? モニターに出してみて」

(帰りの車の中、自動運転モードで)
「OK! Alove、今朝までに提出されているはずの子どもたちの日記、ひとりずつ読み上げてくれ。もちろん返事は書かなくていいよ、そんなことまでさせられない。ボクが言うから文字にして、いちおう文になったら読み上げてくれ、校正するから。全部終わったところで送信」

(家に帰ってから)
「OK! Alove、明日の社会科は中国だからとりあえず人口の変化のグラフを出してくれ。去年使ったやつの最新版はあるかい? ない? じゃあ他のヤツでいいや。中学生が読み取り安い順に並べて。その中から選ぶから。明日、『人口の変化のグラフ』って言ったら、これから選ぶヤツを出すんだよ」

 相変わらず持ち帰り仕事をしていますが、教師は欲が深いのです。子どものためとなると妥協するのは難しい。ただし価値の低い仕事はAI任せですから精神的には今よりずっと楽なはずです。

(この稿、終了)