30年近く以前の教え子から相談を受けた
小学校3年生の娘が毎日のようにケンカをして帰ってくる
原因は娘が人のことを注意してばかりいるからだ
どうしたらいいのだろうと
それに応えた
というお話。
小学校3年生の娘が毎日のようにケンカをして帰ってくる
原因は娘が人のことを注意してばかりいるからだ
どうしたらいいのだろうと
それに応えた
というお話。
【相談します!】
先生 こんにちは。子供のことで相談したくLINEします。
小学三年の娘のことなんですが、学校で友達のことを注意してばかりで、それがもとで毎日のようにケンカをして帰ってきます。
私が注意ばっかりしすぎて、何しても注意から始まって、褒めることは2番目、それがいけなかったのかもしれませんが、娘も友達を注意することが多すぎるようです。
何をやっていても周りが気になるようになってしまい、集中もできてないのかな?
注意することはいい事だけど、毎日 注意することで、友達とケンカばかり。
自分もできないことあるのに他人を注意して、その上で喧嘩になって泣いて帰ってきたりして、昨日もケンカ、今日もケンカって聞くと、私も相談のるけど、毎回毎回だともう注意なんかしなくていいじゃないとか思ってしまいます。
クラスの学級係をやったりして前には出たい子です。注意するならメンタル強くして、泣かずに帰ってくればいいのにと思うこともあります。でもその子の性格もあるのかな……
友達に指摘されて直していけばいいのかなとか、私も娘とのやり取りで直すところたくさんあるなとか、私の何がいけなかったのかとかいろいろ考えたり。どうしていけばよいのか……
先生、ホントにどうしたらいいのでしょう?
小学三年の娘のことなんですが、学校で友達のことを注意してばかりで、それがもとで毎日のようにケンカをして帰ってきます。
私が注意ばっかりしすぎて、何しても注意から始まって、褒めることは2番目、それがいけなかったのかもしれませんが、娘も友達を注意することが多すぎるようです。
何をやっていても周りが気になるようになってしまい、集中もできてないのかな?
注意することはいい事だけど、毎日 注意することで、友達とケンカばかり。
自分もできないことあるのに他人を注意して、その上で喧嘩になって泣いて帰ってきたりして、昨日もケンカ、今日もケンカって聞くと、私も相談のるけど、毎回毎回だともう注意なんかしなくていいじゃないとか思ってしまいます。
クラスの学級係をやったりして前には出たい子です。注意するならメンタル強くして、泣かずに帰ってくればいいのにと思うこともあります。でもその子の性格もあるのかな……
友達に指摘されて直していけばいいのかなとか、私も娘とのやり取りで直すところたくさんあるなとか、私の何がいけなかったのかとかいろいろ考えたり。どうしていけばよいのか……
先生、ホントにどうしたらいいのでしょう?
【お返事します!】
お返事します。
長文になります。
だいぶ以前のことです。4歳になる私の孫が、保育園のお昼寝の時間に、「○○ちゃんが寝てないよ」と保育士さんに言いつけに行ったそうです。
保育士さんが、
「そう言うあなたも寝てないじゃない」
というと、びっくりして慌てて布団に戻り、毛布を被ったといいます。保育園の連絡帳に書いてありました。
自分のことは棚に上げておいて、友だちの非を打ち鳴らすというのは子どもにはよくあることです。親が注意ばかりしているとそうなるのかどうかはよく分かりませんが、ただ繰り返し注意しても相手が言う通りにならないと、「口で言ってもダメだから」ということで、無視だの吊し上げだのといった実力行使に出ることがあり、それを世間は「いじめ」といいますから今から注意しておく必要はあるでしょう。
さらにK子さんもおっしゃっている通り、注意すること自体は悪くない、そして注意される以上、根本的には相手に非がある――つまりお嬢さんは“正義”を行っているわけで、それはそれで厄介です。悪いことなら叱ればいいだけですが、“正義”だと思ってやっていることを止めるのは相当に難しいことです。
長文になります。
だいぶ以前のことです。4歳になる私の孫が、保育園のお昼寝の時間に、「○○ちゃんが寝てないよ」と保育士さんに言いつけに行ったそうです。
保育士さんが、
「そう言うあなたも寝てないじゃない」
というと、びっくりして慌てて布団に戻り、毛布を被ったといいます。保育園の連絡帳に書いてありました。
自分のことは棚に上げておいて、友だちの非を打ち鳴らすというのは子どもにはよくあることです。親が注意ばかりしているとそうなるのかどうかはよく分かりませんが、ただ繰り返し注意しても相手が言う通りにならないと、「口で言ってもダメだから」ということで、無視だの吊し上げだのといった実力行使に出ることがあり、それを世間は「いじめ」といいますから今から注意しておく必要はあるでしょう。
さらにK子さんもおっしゃっている通り、注意すること自体は悪くない、そして注意される以上、根本的には相手に非がある――つまりお嬢さんは“正義”を行っているわけで、それはそれで厄介です。悪いことなら叱ればいいだけですが、“正義”だと思ってやっていることを止めるのは相当に難しいことです。
【靴をそろえる】
話が遠回りになりますが「靴をそろえる」という話をします。
私がK子さんの中学校の女子バレー部の顧問だった時のことです。
上位大会に進んで選手を連れて行ったら、その開会式で大会委員長がいきなり、
「今日、優勝するチームはもう決まっている」
なんて言うのです。失礼ですよね。まだ一試合もしていないというのに。その上で、
「私の話が嘘だと思うなら、下足箱を見てきなさい。そのチームの靴は完全に揃っている」
私は素直な性格なのですぐに見に行きました。F中でした。すべての靴が踵までピシッと揃っていたのです。一人ひとりの自覚が高いのですね。
それからしばらく夢中になって靴ぞろえを指導し、ムキになって頑張ったのですがついに私のバレー部は完全にそろうということがありませんでした。最初はそろうのですが、何回か出入りしているうちに必ず乱れてしまうのです。全員の自覚がそろわないのです。
ところがそれから何年もして、小学校の教師になってから、私は靴のそろえ方について先輩からこんな指導の仕方を教えられたのです。
小学校に入学したばかりの子どもたちを下足箱に連れて行き、まず靴をきちんとそろえさせます。これ以上ないというくらいきちんとさせる。そして、
「ほら、気持ちいいよね。みんなピシッとしてすてきだね」
と話します。そのあと一足だけわざと崩して、
「こんなふうになっていると、やっぱりいやでしょ? 変だよね」
子どもたちはここで大きく頷きます。
「じゃあ、お友だちの靴がこんなふうになっていたらどうする?」
ここで出てくる答えは100%「注意する」です。私も何回かやりましたが確実に出ます。
「そうだね、注意すればいいんだよね」(と、いったんは認める←ここが大事。すぐに否定しない)
「でもね、何度注意してもできない子って、やっぱりいるよね。すぐ忘れちゃう子とか、いつもギリギリに走ってきてそろえる時間がなくなっちゃう子って。そういう“どうしてもできない子”の靴はどうしよう」
この次の答えは簡単には出てきませんが、クラス全員に聞けば一人くらいは言います。
「直してやる」
これこそ教師が待っていた答えです。
「そうだね、直してやればいいんだよね」
そう言って教師が目の前で直して見せます。
「ほら、気がついた人がこんなふうに直してやれば、みんなそろってすごく気持ちがいいでしょ。みんなもこんなふうにできるかな?」
そう聞くと1年生は全員が「ハーイ」と答えます。
ただし決心したことを全員ができるということはありません。友だちの分まで直し続ける子なんて一クラスに4~5人もいたら御の字で、クラス全員の靴がピシッと揃っているとしたら、それは実際には2~3人の子が常に頑張っているだけなのです。素晴らしい子たちですよね。
けれどもそんな素晴らしい子たちの息も、それほど長く続くものではありません。ときどき誉めてエネルギ-を注入してやらないと長続きしないのですが、それがなかなか難しい。乱れた友だちの靴を直してやっている場面になんて、そうそう簡単に出会うことはないからです。
そこで私に教えてくれた先生は子どもたちに魔法をかけます。
「キミたちがやった“いいこと”“敵なこと”は必ず神様が見てくれている。だから“いいことをしたときはひとに言ってはいけない”んだよ。内緒にしておくんだ」
内緒でやることに価値を置くようになると、子どもたちは誉められなくてもいくらでも頑張ります。
バレーボールのF中の強さも、あとから考えれば個人の自覚の問題ではなかったのです。チームに縁の下の力持ちが何人かいて、その子たちが常に靴をそろえていた、そしてその子たちが縁の下で頑張っていることや、その子たちの期待を知っているから、レギュラーも死ぬほど頑張る、ということなのだなと後から思いました。
“正義”を行っているK子さんの娘さんが学ばなければならないこともそこにあります。
「正しいことでも人にはできないことがある、できない人がいる。その人たちのためには“注意する”以外の他の方法を考えなくてはならない」
ということです。
私がK子さんの中学校の女子バレー部の顧問だった時のことです。
上位大会に進んで選手を連れて行ったら、その開会式で大会委員長がいきなり、
「今日、優勝するチームはもう決まっている」
なんて言うのです。失礼ですよね。まだ一試合もしていないというのに。その上で、
「私の話が嘘だと思うなら、下足箱を見てきなさい。そのチームの靴は完全に揃っている」
私は素直な性格なのですぐに見に行きました。F中でした。すべての靴が踵までピシッと揃っていたのです。一人ひとりの自覚が高いのですね。
それからしばらく夢中になって靴ぞろえを指導し、ムキになって頑張ったのですがついに私のバレー部は完全にそろうということがありませんでした。最初はそろうのですが、何回か出入りしているうちに必ず乱れてしまうのです。全員の自覚がそろわないのです。
ところがそれから何年もして、小学校の教師になってから、私は靴のそろえ方について先輩からこんな指導の仕方を教えられたのです。
小学校に入学したばかりの子どもたちを下足箱に連れて行き、まず靴をきちんとそろえさせます。これ以上ないというくらいきちんとさせる。そして、
「ほら、気持ちいいよね。みんなピシッとしてすてきだね」
と話します。そのあと一足だけわざと崩して、
「こんなふうになっていると、やっぱりいやでしょ? 変だよね」
子どもたちはここで大きく頷きます。
「じゃあ、お友だちの靴がこんなふうになっていたらどうする?」
ここで出てくる答えは100%「注意する」です。私も何回かやりましたが確実に出ます。
「そうだね、注意すればいいんだよね」(と、いったんは認める←ここが大事。すぐに否定しない)
「でもね、何度注意してもできない子って、やっぱりいるよね。すぐ忘れちゃう子とか、いつもギリギリに走ってきてそろえる時間がなくなっちゃう子って。そういう“どうしてもできない子”の靴はどうしよう」
この次の答えは簡単には出てきませんが、クラス全員に聞けば一人くらいは言います。
「直してやる」
これこそ教師が待っていた答えです。
「そうだね、直してやればいいんだよね」
そう言って教師が目の前で直して見せます。
「ほら、気がついた人がこんなふうに直してやれば、みんなそろってすごく気持ちがいいでしょ。みんなもこんなふうにできるかな?」
そう聞くと1年生は全員が「ハーイ」と答えます。
ただし決心したことを全員ができるということはありません。友だちの分まで直し続ける子なんて一クラスに4~5人もいたら御の字で、クラス全員の靴がピシッと揃っているとしたら、それは実際には2~3人の子が常に頑張っているだけなのです。素晴らしい子たちですよね。
けれどもそんな素晴らしい子たちの息も、それほど長く続くものではありません。ときどき誉めてエネルギ-を注入してやらないと長続きしないのですが、それがなかなか難しい。乱れた友だちの靴を直してやっている場面になんて、そうそう簡単に出会うことはないからです。
そこで私に教えてくれた先生は子どもたちに魔法をかけます。
「キミたちがやった“いいこと”“敵なこと”は必ず神様が見てくれている。だから“いいことをしたときはひとに言ってはいけない”んだよ。内緒にしておくんだ」
内緒でやることに価値を置くようになると、子どもたちは誉められなくてもいくらでも頑張ります。
バレーボールのF中の強さも、あとから考えれば個人の自覚の問題ではなかったのです。チームに縁の下の力持ちが何人かいて、その子たちが常に靴をそろえていた、そしてその子たちが縁の下で頑張っていることや、その子たちの期待を知っているから、レギュラーも死ぬほど頑張る、ということなのだなと後から思いました。
“正義”を行っているK子さんの娘さんが学ばなければならないこともそこにあります。
「正しいことでも人にはできないことがある、できない人がいる。その人たちのためには“注意する”以外の他の方法を考えなくてはならない」
ということです。
【それ以外の方法】
「できない」というのは能力的にできない場合(記憶力がない・集中力がない・筋力がない、面倒くさくて動けない、まだまだ気持ちが赤ちゃんレベル、等々)もありますが、小学生くらいになると他にもたくさん理由が出てきます。
「今やろうと思ったのに、先に言われたて気分が悪い」
「他の子との秘密の約束があってやりたくてもできない」
「上から目線で言われるのがいやだ」
「オマエに言われたくない」
「できないのはボク(私)だけじゃない」
「なんで僕だけ言われるの?」(ほんとうは“ボクだけ”が言われているわけではない場合も)
想像したらいくらでも出てきます。
ですから今度トラブルがあったら、
「○○ちゃんはどうしてそんなことをするのかな(しないのかな)?」
と聞いてみるといいのかもしれません。
もちろん最初の答えは、
「性格が悪い」とか「バカだから」と言ったことになります。よく考えずに返す答えですから、そこのところを強く咎めてもいけません。ここからどう切り返すかがK子さんの腕の見せ所です。
話を持って行きたいところは、
「注意されてもできない子がいる(みんながあなたのように優秀なわけではない)」
「そういう子には別のアプローチが必要だ」
「“注意する”以外にできることはないかな?」
です。
それら全部をK子さんが言うのではなく、お嬢さんの心の中で自分の言葉として浮かぶように仕向けるわけです。クラスみたいな集団だと誰かが正解を言いますから楽なのですが、一人の心にそうした動きを起こさせるのはとても大変です。
ですからたいていの子は答えにたどり着く前に息が切れてしまい諦めます。
「しかたないなあ、他の方法を考えるのも面倒だし、できないならできないでいいや」
ケンカにもいじめにもなりませんから、それで終わってしまってもいいのかもしれません。
一回ではうまく行かないと思いますがとりあえず「ケンカが起きない1年間」を目標にやってみるといいでしょう。
その間にも「注意する以外にできること」について考え続けさせれば、きっと素晴らしい成長の糧になると思います。
もう少し話したいことがあります。それは
「私が注意ばっかりしすぎて、何しても注意から始まって、褒めることは2番目」
についてです。
しかしそれは明日にしましょう。今日はもうずいぶんとお話ししましたから。
(この稿、続く)
「今やろうと思ったのに、先に言われたて気分が悪い」
「他の子との秘密の約束があってやりたくてもできない」
「上から目線で言われるのがいやだ」
「オマエに言われたくない」
「できないのはボク(私)だけじゃない」
「なんで僕だけ言われるの?」(ほんとうは“ボクだけ”が言われているわけではない場合も)
想像したらいくらでも出てきます。
ですから今度トラブルがあったら、
「○○ちゃんはどうしてそんなことをするのかな(しないのかな)?」
と聞いてみるといいのかもしれません。
もちろん最初の答えは、
「性格が悪い」とか「バカだから」と言ったことになります。よく考えずに返す答えですから、そこのところを強く咎めてもいけません。ここからどう切り返すかがK子さんの腕の見せ所です。
話を持って行きたいところは、
「注意されてもできない子がいる(みんながあなたのように優秀なわけではない)」
「そういう子には別のアプローチが必要だ」
「“注意する”以外にできることはないかな?」
です。
それら全部をK子さんが言うのではなく、お嬢さんの心の中で自分の言葉として浮かぶように仕向けるわけです。クラスみたいな集団だと誰かが正解を言いますから楽なのですが、一人の心にそうした動きを起こさせるのはとても大変です。
ですからたいていの子は答えにたどり着く前に息が切れてしまい諦めます。
「しかたないなあ、他の方法を考えるのも面倒だし、できないならできないでいいや」
ケンカにもいじめにもなりませんから、それで終わってしまってもいいのかもしれません。
一回ではうまく行かないと思いますがとりあえず「ケンカが起きない1年間」を目標にやってみるといいでしょう。
その間にも「注意する以外にできること」について考え続けさせれば、きっと素晴らしい成長の糧になると思います。
もう少し話したいことがあります。それは
「私が注意ばっかりしすぎて、何しても注意から始まって、褒めることは2番目」
についてです。
しかしそれは明日にしましょう。今日はもうずいぶんとお話ししましたから。
(この稿、続く)