カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「タバコを吸わないことの自由」~嫌煙運動の日に考えた

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今日、218日は「嫌煙運動の日」の日だそうです

 1978年の218日に「嫌煙権確立をめざす人びとの会」が設立され、
 本格的な嫌煙運動が始まったことが由来だと言います
 さらにカレンダーによると 今日は
 東京の市電で日本初の車内禁煙の行われた日(1904)でもあるそうで
 何かとタバコと縁のある日です

【木久扇の映画館】

 朝は4時半に目を覚まし、手探りでリモコンを押してNHKニュースをつけるのが一日の始まりです。続いてコーヒーを淹れ、ニュースを聞きながらメールチェックなどをするのですが、土曜日の朝だけは事情が違っています。その時刻にやっているのは、前の週の「日本の話芸」の再放送だからです。

 ニュースだったら片手間に見ることができますが、落語はすぐに流れが分からなくなってしまいますからじっくり見ないわけにはいきません。しかも先週の土曜日は林家木久扇さんの「昭和芸能史」で、これがめっぽう面白かったの思わず見入ってしまいました。

 木久扇さんが子どもだったころの映画の話が中心で、昭和初期の名優、嵐寛寿郎だとか大河内伝次郎だとかは台詞がモゴモゴしていて何を言っているか分からないので、その物まねだけでも面白いのです。

 さらに木久扇さんの語る当時(昭和20~30年代)の映画館の様子、例えばトイレが汚くて匂いが強いので、それをごまかそうと大量のナフタリンを置くとこんどは刺激臭がものすごく、目にしみて涙が出るので喜劇なのに泣きながら見たといった下りでは、思わず「ああ、そう、そう」と頷いたりしていました。

 そうした具体的で細々としたことは言われれば思い出しません。自分の記憶として呼び覚まされることがないのですから、やはり人の話は聞いてみるものです。

【映画館とタバコ】

 さて、映画館というと、私が思い出すのタバコの煙です。
 当時はまだ場内禁煙ということもありませんでしたから、大人はたいてい紫煙をゆったりと広げながら映画を鑑賞したものです。もともと締め切ったところですからその煙たるや大変なもので、映写機からスクリーンに放たれる光がチンダル現象で筋になって見えるほどでした。その光の筋は、今から考えると鑑賞の邪魔になるものでしたが、映写機のシャッターの“シャー”という音とともに映画館では当たり前のこととして苦にもしなかったのです。

 また映画の中の俳優たちも、実によくタバコを吸いました。
 刑事ものの捜査会議の場面などでは、テーブルの上のほぼ全員の前に灰皿が置いてあって、中にうず高く吸い殻が積まれたりしています。
 屋外の場面でも、道端でも、港でも、海水浴場ですら皆タバコの煙を燻らせています。あれがないとまさに手持ち無沙汰で、手の演技に困ったようなのです。

 映画スターが吸えばそれが“かっこういい”ということになって若者も吸います。
 私もそういった理由でタバコを始めます。
 そしてその後さんざん苦しめられて、結局は病気でやめざるを得なくなるのですが、それはそれは苦しかった。

 禁煙の辛さについては「イライラする」とか「怒りたくなる」とかいった話をききますが、私の場合は切なかった――本当に哀しかったのです。

 その切なさは、自分自身もう極め付きにうまい表現だと思うのですが、
 悪い女に引っかかって、その可憐さ、美しさが忘れられず、「悪い女だ」「このまま行けば身の破滅だ」と分かっていながら自分が抑えられない、その香りのする方に鼻が向いてしまう、一歩でも1ミリでも近くにいたいと思う
 そんな感じだったのです。

 もうやめて20年も経つというのに、今でもタバコの煙を嫌だとは思いません。昔の恋を今も抱きしめている感じです。

【タバコを吸わないことの自由】

 ですからタバコをやめられない人の気持ちはとても分かります。

 今や喫煙者は蛇蝎のごとく嫌われ吸える場も極端に狭められています。アパートやマンションでは台所の換気扇の近くもベランダもダメだそうで、こうなるともうすぐ禁教時代の隠れキリシタンです。

 いくら何でもここまでしなくていいじゃないか。タバコ呑みはそこまで迷惑をかけているわけじゃない。
 酒で身上を潰した人間はいても、タバコで潰した奴はいない。飲酒運転でたくさんのひとを不幸にした人間はいても、吸いながら運転で事故を起こした人はまずいない。
 いつでもどこでも自由に吸わせろと言っているわけじゃない、分煙喫煙室で十分じゃないか――と、大いに味方したいところですが、振りかざせるほどの正義でもありませんし、私自身に何の利益もありませんから黙っています。

 ただ現実問題として、タバコを吸わなくなってから得られた自由は莫大なものであって、例えば仕事中に一定間隔で喫煙室に行かなければならないとか、映画館や劇場で最後まで続けて鑑賞できないとか、美術館ですら速足にならざるをえないとか、あるいはもはや500円前後にまで高価になってしまったたばこ代のこととか、そういったものの一切から自由でいられるのはかなり良いことです。それは喫煙経験と禁煙経験の両方を経た人間にしか分からないことでしょう。

 やはり最初から吸わないに越したことはありません。
 人間は体験から学ぶと言いますが、体験できないこと、体験してはいけないこともたくさんあります。宇宙旅行やヒマラヤ登山は簡単には体験できないことで、わざと事故に遭うとか薬物やタバコ、犯罪に手を染めること、こうしたことは体験してはいけないことです。

 タバコについては子どもたちに体験してはならないこととして教え、喫煙によって失われる自由についても十分に伝えていきたいものです。

 だれも新たにタバコを吸い始めないとしたら、70~80年後には放っておいてもタバコは絶滅するはずです。