カイト・カフェ

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「合衆国と世界の行き着く先」〜中間選挙始まる2

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アルフォンス・ミュシャ『スラヴ叙事詩「スラブ菩提樹の下で行われるオムラジナ会の誓い」』)

  今日のお昼ごろ大勢が判明するとのことで、これを書いている今はまだ投票時間内なので何も新しい情報はありません。さて――。

【私たちに人権のあることは、うまく説明できない】

 今週の「西郷どん」に岩倉遣欧使節がヨーロッパに出発する場面がありました。条約改正が大きな仕事でしたが列強の態度はケンモホロロで早々に諦め、さまざまな見聞を深めて帰ってきます。「自由」「平等」といった人権思想を学んだのもこの時です。

 しかし明治6年(1873)横浜港に戻った彼らはその時点で挫折します。
 苦労して学問をしてヨーロッパにまで行った自分たちと、横浜港で昼から酒を飲んで博打を打っている沖仲仕とが「平等」、というのがよく分からないのです。

 今の世の中でも、同じ意味で「平等」や「自由」が理解できない人はたくさんいます。
 かく言う私も、
「教師も児童生徒も同じ人間として平等だ」
と言われると戸惑います。生物学的に平等なことや日本人としての権利などで平等なのは分かりますが、児童生徒と教師という関係においても平等となるとどう振る舞えばいいのかわからないのです。

 突き詰めると「人間は皆、自由で平等だ」というのはうまく説明できないものなのです。
 ですからアメリカ独立宣言も、
「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」
といきなり書き始め、フランス人権宣言も第1条(自由・権利の平等)は
「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」
となんの説明もなく、いきなり始めるしかありませんでした。

 誰もが納得するような形での説明はできない、しかしそういうものだというところから始めないと社会の調和は保てない、だからそういうことにしようというのが人権思想の始まりなのです。

【「これはPC(ポリティカル・コレクトネス)ではないと思うが・・・」】

「自由」「平等」を筆頭とする基本的人権は完全に定義しきることのできない性質のものです。タガがないのですからしばしばそれは過剰になります。

 嫌なことをされたり言われたりするとすべて「ハラスメント」という括りで糾弾したり、男女差を想起させる言葉や少しでも差別の匂いのする表現をすべて書き直すといった「言葉狩り」もそれです。

 おそらく英語の「ポリティカル・コレクトネス(Political Correctness:政治的に正しいこと)」にはそういった人権意識の過剰に対する拒否感が込められています。少なくともドナルド・トランプが使い始めた時はそうでした。

 2年前の大統領選挙の当初からドナルド・トランプ「これはPC(ポリティカル・コネクトス)に反すると思うが――」と前置きしてから、普通の人間なら公式の場では決して口にできない汚い言葉で相手を罵っていました。

 ヒラリー・クリントンは夫を満足させられていないのに、なぜアメリカを満足させられると思っているのか?
 俺は美しいものに自動的に引き寄せられる。そしていきなりキスするんだ。磁石のようにな。そして手をつっこんで触ってやる。
 日本が攻撃を受けたら我々は即座に助けに行かなければならないが、米国が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない。公平だろうか?
 メキシコ人は麻薬や犯罪を持ち込む
 メキシコとの国境に「万里の長城」を建設し、費用はメキシコに全額払わせる。
 すべてのイスラム教徒をアメリカ入国禁止にする。

 トランプはこうして「自由」「平等」といった基本的人権から「正義」「弱者救済」「自由主義経済」「同盟国擁護」「グローバリズム」といったこれまでアメリカが前面に押し出してきた価値のすべてに、ツバを吐き掛け始めたのです。
 それがアメリカ国民や海外の一部の政治家の手本となり、ミニトランプや◯◯のトランプ(例えばフィリピンのトランプ)を生み出して一気に広がります。
 アメリカ大統領は常に手本とされた存在でしたから。
――それが現状です。

【合衆国と世界の行き着く先】

 ニュース解説の木村太郎さんは、
トランプ大統領のためにアメリカの分断は進んだと思います」
かと問われて、
アメリカの分断なんて昔からだよ」
と答えていました。
 それは一面、まったくその通りなのです。
 合衆国は最初からバラバラな烏合の衆のつくった国です。歴史も浅すぎます。

 しかしアメリカはその烏合の衆を、「自由」「平等」「正義」「弱者救済」といったさまざまな理念でまとめ上げることに成功した。その旗印を通じて「強いアメリカ」を実現してきたのです。
 アメリカは正義の国であり、世界秩序を守るために存在する――その意志が「偉大なアメリカ」を成立させていた。ジョージ・ワシントンリンカーンも、JFKもその他の人々も、高い理想を掲げてこの国を率いてきた――。その扇のかなめを、トランプ大統領はいとも簡単に破壊してしまったのです。

 今、アメリカは民主・共和の二つに分断が進んでいるように見えますが、分断がそれで終わるはずがありません。かなめがないのですから四分五裂していくしかないのです。

 エリートと非エリート、富めるものと貧しいもの、老人と若者、男と女、人種・民族、宗教・思想、趣味・嗜好、そういった一切が分断の契機となり得る――。

 国際政治もそれに合わせて同盟は崩れ、EUのような共同体も櫛の歯の抜ける如く欠けていきます。しばらくは集合離散を繰り返しますが、ますますトランプ流のオラオラ政治が蔓延し、やがて分裂していくしかありません。

 それが今、私たちの目の前で起ころうとしていることです。
 それでも合衆国が「強いアメリカ」を存続しなければならないとしたら、合衆国にヒトラーを待つしかありません。1933年のドイツがそういう選択をしたように。

 さて中間選挙の結果はどうなったでしょう?