「運命に寄り添い、流れに棹さす」〜運命とのつきあい方 2

 

【子に寄り添う】

 教師を含む教育の専門家たちのアドバイスで最も分かりにくいもののひとつは、

「もっと子どもに寄り添って」

です。そう言われて何をすればいいのか即座に理解できる人は稀ですし、そんな感覚の優れた人はそもそも「寄り添って」などといったアドバイスを受けることはないのかもしれません。

 

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 アルノルト・ベックリン『死の島、第3バージョン』

 

「子どもに寄り添う」についての私のイメージは、まさに肩を寄せ合って遠い道を歩く姿です。

 寄り添わなければならないような子どもは普通はまっすぐ歩こうとはしません。右へフラフラ、左へフラフラ、立ち止まったりしゃがんだり、それを真っすぐ歩かせようというのですから容易ではありません。

 

 これが病人だったら向かい合わせになって両手を取り、こちらが後ずさりする形で引っ張るとか、後ろから支えてまっすぐ歩かせるとかいったことになるのですが、フラフラしている子どもにそんなことをしたら、すぐにつ傷ついて手を振りほどいたり後ろから支える手を振り払ったりとろくなことはありません。

「さあ、助けてあげよう」

「ありがとう」

といった素直さがあれば最初から苦労しないのです。

 

 そんな子に対しては右にフラフラし始めたらその子の右側に回り込んで並び、さりげなく左肩を寄せて気づかれないようにゆっくり押しながら左へ左へと誘導するのです。そのまま左に曲がりすぎるようだったら、急いで反対側に回り込み、今度は右肩で静かに押し返します。

 しゃがみこんで歩くのをやめたら、一緒にしゃがみこんでしばらく時を過ごします。立ち上がりかけたら一緒に立ち上がり、そのとき体の一部が引っかかったふりをして実際には立ち上がるのを助けたりします。

 それが“寄り添う”です。

 徹底的にそばにいて一緒に歩き、それでいて無理をしない。

 

 具体的に言えば、「しょっちゅう話をしている」ということです。

 何か問題があって急に会話が増えたと悟られないように、徐々に話す機会を増やします。話しているうちに“これは違うな”“マズイな”と思うときが出てくるのですが、そこで大演説をぶったり大説教をしたりせずに、言いたいことを小出しにし、時間をかけ、ゆっくりと修正していくのです。ここが一番難しい、ここが最重要の点です。

 急に大転換しようとするとことは台無しです。目論見が果たせないばかりか人間関係が崩れ、会話さえままならなくときがあるからです。

 

 まどろっこしくて息が詰まるほどゆっくりと、時間をかけ、小出しにして子どもの変更を確認していく、それが「寄り添う」唯一の方法です。

(ただしもうお気づきと思いますが、以上は親子が会話できる関係であることが前提です。普通の会話のできない関係になってしまうと“寄り添う”指導は不可能になります。そんな場合はとりあえずは別の人の手を借りるしかありません。

 

 “寄り添う”指導をアドバイスする人に対しても「ウチはもうそういう段階にないのです」とはっきり言って別の指導を提案してもらわないと方向を誤ります)

 

 

【運命に寄り添う】

 運命も同じです。

 生きて暮らしていく上で、「何かがおかしい」「流れが悪い」「潮目が変わったのかもしれない」「逆風が吹き始めたかもしれない」と思ったとき、すべきことは大転換ではありません。運命を急に曲げることはできないのです。

 ゆっくりと時間をかけ、静かに修正していくしかありません。

 

 具体的に言えば、物事を気安く運ばないということ。

 流れが悪いのですから慎重に慎重を重ねます。有卦に入っている時なら何も考えずに進められることも、いちいち細かく確認します。間違いなないように、失敗しないように、負けないようにひたすら努力します。努力しながら、流れを変える機会を伺います。その気配がないようなら、気配が生まれるまでひたすら“負けない”ことに専念します。

 

 私はしばしば「土俵を割らないようにぐるぐる回りながら勝機を探る」と言ったりしますが、それはそういうことです。

 

 では「流れがきている」とき「有卦に入っている」とき、あるいは「風が吹いてきた」ときはどうしたらいいのか。

 

【流れに棹さす】

 基本的にはいい気にならない程度に、流れに竿をさしてまっすぐ進めばいいだけ。風や潮目の変化にだけ気をつけながら、順風を満帆に受けるようにします。

 大切なことは風や流れに乗るということであって、その方向を見誤らないことです。東風に乗って順調に西に向かっているときに、いきなり左に舵を切って同じ速さで南に向かおうとしたり、さらに速度を上げようとして急ごしらえの柱を何本も立て、帆を何枚も張ったりしないことです。

 うまくいっているときは余計なことをしない、それが肝要です。

 

 さて二日間に渡って「運命とのつきあい方」などといった偉そうなタイトルで文章を書いてきましたが、実はその背景に、ある身近なできごとによって私がそうとうに苛立って暴れたくなっているという、あまり偉くない事情があるのです。やはりそれに触れないと卑怯ですので、明日そのことについて書こうと思います。