カイト・カフェ

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「うまくいっているときは余計なことをしない」〜義姉の病気と日本の教育と

f:id:kite-cafe:20181215215533j:plainミハイル・ヴルーベリー『悪霊』)

 義理の姉ががんだという話は以前しました。

kite-cafe.hatenablog.com 手術のできない「ステージⅣ」の胆管がんで、標準治療の抗がん剤も効かなくなり、参加しようとしていた治験(治療研究)もことごとくなくなってしまい、打つ手が途絶えた。もちろん代替療法は(いかにも)科学的なものから魔法・呪術に至るまで数限りなくありますが、これといって決められない。そんな中途半端が続いてーー、
 ところが、
 肝心の義姉の具合はどうかと言うと、これがすこぶる調子がいい。
 抗がん剤をやめてから顔色もよくなり、化粧の乗りもいいなどと舞い上がっている。
 胆管癌の基本的症状である黄疸もなければ身体のかゆみもない。食欲は旺盛。
 1年以内に80%以上が亡くなってしまう胆管がんで、義姉が今も元気だということは、もしかしたらもう危機を脱しかけているのかもしれない、生き残る可能性はグンと上っているのかもしれない。
 そんなふうに書きましたが、ここに来て突然悪化しました。黄疸が出て、血液検査の結果が一斉に悪くなったのです。黄疸自体は簡単な手術で消すことができますが、次の階段を一段上がってしまったのかもしれません。

【うまくいっているときは余計なことをしない】

 その間に何があったのかというと、実は代替療法をやったのです。しかも患部に直接働きかける療法を。ここに悩みがあります。

 それを行ったから眠っていたがんが再び動き出したのか、何もしなくても結局そうなったのかは、誰にも分からないからです。

 私はできるだけ考えないようにしていますが未練が捨てきれません。あのときもっと強く反対していればこんなことにはならなかったのではないかという思いが、心の片隅でしぶとく燻っているのです。
 昨日お話ししたように、うまくいっているときは余計なことをしない、それが私の基本的な生き方なのに、身内には強制しなかった――そこに後悔が残ります。もちろん本人や家族に対してはおくびにも出しませんが。

 上の方で胆管がんのステージⅣは1年以内に80%以上が亡くなってしまうと書いてありますが、義姉と同じ年齢の女性に限っていると、1年後の生存率は21.7%、2年生存率は4.3%とステージⅣの全症例(3.0%)に比べるとずっと良いのです。しかもその4.3%は一応治ったと判断される5年生存率でも変わりません(全症例だと5年生存率はわずか1.5%)。つまり2年生き残ればほぼ「がんサバイバー」なのです。

 400日以上症状も出ずにきた義姉はその4.3%に含まれる「奇跡の人」だったのかもしれません。いやきっとそうだったに違いない、そんな思いがいつまでも心の隅で小さく燻っています。火が消えません。

【日本はどこを目指すのか】

 さて、話は唐突に大げさになりますが、日本の教育改革について考えるとき、私はいつも同じような気持ちにとらわれるのです。うまくいっているときは余計なことをしない、それが正しいやり方なのに、なぜ政府は教育に手を入れるのかということです。
 もちろん原因は分かっています。政府や世間の人々と私の現状認識が違っているからです。

 かつて安倍首相は「教育再生会議」というのを立ち上げましたが、それは日本の教育が「死んでいる」という認識があったからこそつけられた名前です。そうした認識において大方の世論は一致しています。

 ネット上のどこを覗いても、日本の公教育の劣悪性を嘆く記事は目白押しです。
 イジメはあるし教師の体罰はあるし、学習内容あまりにも遅れているし、新時代に適合していないし、教師は教育のなんたるかを全く理解していないし、児童生徒の個性を生かす教育は全く行われていないしーーと、さんざんです。

 しかし私にはそれが全く理解できないのです。簡単に言って、
「それではどこの国の教育を手本にしたらいいのか」
 その答えを示してくれる論評に会ったことがありません。

 一時は「フィンランドに学べ」みたいなこともありましたが 、P I S Aで成績を落とすと誰も言わなくなりました。代わって群を抜く成績を上げた上海や韓国については、誰も「学ぼう」と言い出しません。かつて起こったフィンランド詣でみたいなことは、上海や韓国については起こらないのです(アジア蔑視か?)。
 道徳教育についても、きちんと教科化を行い、教科書もあれば専任教師も置くと言った先進的な取り組みをしているのは中国、韓国、シンガポールといったアジアの国々ですが、これも「道徳は中韓に学べ」とは言いません。視察団さえ送らないのです。

 私は密かに疑っっています。いろいろ問題はあっても、日本の教育は国家・民族としては最高位にあってもう目標とできる国や地域はないのではないかということです。
 そんな日本で教育に根本的な改革を行おうとするのは、健康なからだにメスを入れるのと同じで、からだ(教育システム)が傷むばかりで良くなることはないのではないか、そんなふうに思うのです。  これについては、また改めてお話しします。

(参考) 「英雄スシュール・キンダーガートゥンの死」  
    「真名毘の山の赤鬼」